PHILOSOPHY

サタニズム入門:自由を生きるための“悪魔”の教え

 

「サタニズム(悪魔主義)」と聞いて、どんなものを想像するだろうか。

映画『エクソシスト』に出てくるようなおぞましい姿の悪魔を思い浮かべたり、子供を生贄としてサタンに差し出す血みどろの儀式や、神に反逆して世界を破滅させようとする危険なカルト教団を想像するかもしれない。

ところが、そんなイメージとは少し違ったサタニズムが存在する。アントン・ラヴェイ(Anton Szandor LaVey; 1930-1997) が創始した「ラヴェイ派サタニズム」[1,2]は、その名前から連想される不気味なイメージとは異なり、意外にも「自由な生き方」を説く哲学的な一面を持っている。

人間性を肯定し、生を謳歌することを目指した“悪魔”の教え。その思想の一端を覗いてみることにする。

原罪への抵抗と罪悪感からの解放


「人は生まれながらにして罪深い」―こんな言説を、誰しもどこかで見聞きしたことがあるのではないだろうか。特に、キリスト教の「原罪」というコンセプトは、人間の存在背景と密接に関連づけて語られる。人類の始祖であるアダムとイヴが「知恵の実」を食べるという神の禁忌を犯し、その罪が私たちにも脈々と引き継がれている、というキリスト教の教義は誰もが知るところである。

「ラヴェイ派サタニズム」は、このような「人は生まれながらにして罪深い」というステートメントを、きわめて不健全なマインドをもたらすものだと批判する。植え付けられた罪悪感を脱ぎ捨て、生を謳歌する。それがサタニズム運動の原点である。

サタンとは何者なのか


サタンは、ユダヤ教とキリスト教において神に敵対する悪魔として知られている。ではサタニストたちは、本当にそのサタンの実在を信じ、崇拝しているというのだろうか?答えはNOである。ラヴェイ派サタニズムにおける「サタン」とは、キリスト教が定めた原罪のせいで弱々しく萎縮してしまった「人間性」を指している。

実際サタニストたちは、「サタン」を「キリスト教やユダヤ教が、人間内部に個性とプライドを奮い立たせる力に対してつけた名前」([3] p.86)と位置付けている。つまり、サタニズムとは人間性を回復しようとする運動であり、サタンを信奉することは、自己肯定を意味する。

したがって、サタニストたちは、山羊の頭と人間の身体を持つバフォメットのような悪魔の実在を信じているわけでは決してない。彼らが信じるものは自由闊達な自己なのだ。

サタンの名前で力を得る


そういう事情なら、ただシンプルに「人間性を肯定しよう」と宣言するだけで十分なようにも思える。なぜわざわざサタンや悪魔の名を使う必要があるのか?という素朴な疑問を投げかける人もいるかもしれない。

だが、考えてみてほしい。サタニズムが挑もうとした相手は、2,000年もの長い歴史を通じて人々の生活と価値観に深く浸透し、文化と政治に多大な影響力を持つあの世界最大の宗教なのだ。その巨大な思想体系と教団に楯突こうとするとき、「人間性を肯定しよう」などという行儀の良いありふれたスローガンでは、あまりにも心許ない。

著名なアートディレクター・映画ライターとして知られる高橋ヨシキ氏は、ラヴェイが創設した「チャーチ・オブ・サタン(悪魔教会)」公認のサタニストであるが、高橋氏はラヴェイを「稀代のトリックスター」と評している[4, 5]。キリスト教に対するアンチテーゼを打ち立てるために、「人間性を肯定しよう」という凡庸なスローガンを旗印にするのではなく、クリスチャンが最も恐れるサタニストの「汚名」を自ら嬉々として名乗ったことこそ、ラヴェイの「トリックスター」たる所以である。ラヴェイは「サタン」というコンセプトについて次のように語っている。

「その名前を聞けば精神が高揚する。精神が高揚すれば意欲が湧き、自己鍛錬もやりやすくなる。簡単に言えば、おもしろくて発展性がある([3] p.77)」

自らを「サタニスト」と名乗ることそれ自体が、自由へのエネルギーなのだ。

ラヴェイが活動の場として選んだアメリカは、キリスト教の影響を強く受けた文化圏であったため、その権威に対抗するシンボルとして「神の敵サタン」が選ばれたに過ぎない。実際には、「人間の理性と自由意志を代表するものであれば、なんでもよい」([3] p.86)とされている。このことからも、サタニストたちが具体的なサタンという存在を崇拝しているわけではないことがはっきりと見て取れる。

サタニズムにおける9つの罪


アントン・ラヴェイが16歳の時、カーニバルでオルガン奏者として働いていた頃、キリスト教の欺瞞に出会ったというエピソードがある。

土曜の夜、カーニバルで踊っている半裸の女性を食い入るように見つめていた男たちが、翌日の日曜の朝には、教会のベンチに座り、神の前で敬虔な信徒として振る舞っていた。そしてまた次の土曜の夜には、彼らは再び、カーニバルの卑猥な出し物に戻っていくに違いなかった([1] Satanic bible INTRODUCTION by Peter H. Gilmore, [3] p.45)。

ラヴェイにとって、この光景は、「罪を犯し、教会で懺悔し、また同じような罪を犯し、また懺悔する」という奇妙なサイクルに映ったのだろう。サタニストたちにとって、キリスト教による「罪の指定」は、「呼吸することを罪に定めて、吸い込む酸素に課税しているようなもの」[3] なのだ。

キリスト教には「7つの大罪」として「傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・大食・色欲」が定められている。これら7つの大罪に対するラヴェイの見解[1]は、皮肉が利いていてとても面白い。

ラヴェイによれば、「強欲」とは単に、すでに持っているもの以上のものを望むということを意味するだけに過ぎない。「嫉妬」は、他人の所有するものを好意的に見て、自分も同じようなものを手に入れたいと願うことだし、「強欲」も「嫉妬」も、重要なことを成し遂げるための野心の原動力になる。

傷つけられ、攻撃から身を守る時に「怒り」という自己保存の本能が呼び起こされるのは自然なことだし、「大食」とは、単に必要以上に食べることを意味するだけだ。仮に肥満になるほど食べ過ぎてしまっても、別の「罪」である「傲慢」が自尊心を回復させるような外見を取り戻すモチベーションになってくれる。

ラヴェイは、このような調子で「7つの大罪」にはまったく取り合おうとはしない。代わりに、サタニズムにおける罪として次の9つをあげている[6]。

1. Stupidity: 愚鈍
2. Pretentiousness: 虚勢
3. Solipsism: 独我論(自分と他人が同じであるという幻想に陥ること)
4. Self-deceit: 自己欺瞞(ただし、それを自覚して楽しんでいる時はよい)
5. Herd Conformity: 群衆の同調
6. Lack of Perspective: 物事を見通す力の欠如
7. Forgetfulness of Past Orthodoxies: 過去の正統の忘却(作り手の才能を賞賛するばかりでオリジナルを忘却してしまうこと)
8. Counterproductive Pride: 非生産的なプライド
9. Lack of Aesthetics: 美意識の欠如

サタニズムにおける9つのステートメント


ここまでサタニズムの“教義”を見てくると、「悪魔崇拝」という奇怪なイメージとは裏腹に、サタニストが割に「まとも」な主張をしていることが分かる。ラヴェイが創始したサタニズムは、「世俗的で健全な思想を、宗教という衣で包んで魅力を添えたもの」[3]なのだ。

ラヴェイは「私は、9つの社会的に尊敬すべきものを合わせてひとつの非道な形式をつくった」と語っている[3]。ラヴェイの思想をまとめた『サタニック・バイブル(悪魔の聖書)』[1]の冒頭には、その9つのステートメントが宣言されている。これらのステートメントはサタニズムの根幹をなす中心的な思想である。

1. Satan represents indulgence, instead of abstinence!
「サタンは、禁欲ではなく、耽溺を象徴する!」

自分の欲望を押し込めるのではなく、それを楽しみ、充足させ、追求することを重んじるというサタニズムの基本的な姿勢が宣言されている。ラヴェイは「原罪」の汚名を着せられた人間性に肯定的なスポットライトを当てようとしている。

ラヴェイは次のようにも語っている[1]:
Life is the great indulgence – death, the great abstinence. Therefore, make the most of life – HERE AND NOW!
「生とは大いなる耽溺であり、死とは大いなる禁欲である。だから、いま、ここで、人生を思う存分楽しめ!」

2. Satan represents vital existence, instead of spiritual pipe dreams!
「サタンは霊的な夢想ではなく、生命力のある実存を象徴する!」

サタニズムでは、スピリチュアルな世界ではなく、生き生きとした実体的な生を大切にすることが強調されている。次のラヴェイの言葉[1]も関連して引用しておきたい。

There is no heaven of glory bright, and no hell where sinners roast. Here and now is our day of torment! Here and now is our day of joy! Here and now is our opportunity! Choose ye this day, this hour, for no redeemer liveth!
「輝かしい栄光の天国も、罪人が焼き殺される地獄もない。今ここが、私たちの苦悩の日であり、今ここが私たちの喜びの日である!今ここに私たちのチャンスがある!選べ、この日を、この時を!救世主なんていないのだから」

3. Satan represents undefiled wisdom, instead of hypocritical self-deceit!
「サタンは、偽善的な自己欺瞞ではなく、汚れなき知恵を象徴する!」

自らを欺くことなく、知恵を大切にしようという宣言。悪魔崇拝という一般的なイメージから程遠い宣言でとても面白い。

4. Satan represents kindness to those who deserve it, instead of love wasted on ingrates!
「サタンは、感謝のない者への愛ではなく、親切するに値する人々に向けられた親切を象徴する!」

善意や親切は、それに相応しい人々に対して示し、感謝のない者に愛情を無駄使いしないよう呼びかけている。神経をすり減らし、搾取されるだけならば、サタンはその親切を否定するというメッセージだ。

5. Satan represents vengeance, instead of turning the other cheek!
「サタンは “右の頬を打たれたら左の頬を差し出す” ことではなく、復讐を象徴する!」

右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、というあまりにも有名な『マタイ福音書』第5章38-39節のキリスト教的倫理に対するアンチテーゼ。他者からの攻撃や侮辱に対して、復讐や反撃ではなく寛容さと赦しを示すキリスト教とは異なり、サタニズムは闘う立場を取るようだ。ラヴェイは、「汝の敵を愛せ」というキリスト教の教義を「卑しい哲学」とも呼んでいる。

6. Satan represents responsibility to the responsible, instead of concern for psychic vampires!
「サタンは、サイキック・ヴァンパイアなど相手にせず、責任ある人々への責任を象徴する!」

サイキック・ヴァンパイア(直訳して「心理的吸血鬼」)とは、他者に不当に責任を感じさせ、他者の善意を搾取し、精神的なエネルギーを吸収する人々を比喩的に表している。サイキック・ヴァンパイアに善意を振りまくのはやめて、善意を向けるのに値する人々に対する責任と信頼を大切にしようという宣言だ。『サタニック・バイブル』の中では、サイキック・ヴァンパイアに対する具体的な防衛術も示されている。

7. Satan represents man as just another animal, sometimes better, more often worse than those that walk on all-fours, who, because of his “divine spiritual and intellectual development”, has become the most vicious animal of all!
「サタンは、ただの動物としての人間を象徴する!時として四つ足で歩く動物よりもマシなこともあれば、それよりもタチが悪いことも多い存在として。そしてまた、神聖な精神と知性の発達によって、あらゆる動物の中で最も凶暴な動物になってしまった存在として」

このステートメントでは、人間の獣性が肯定されている。いくら精神豊かで知的であっても、その底では獣性が息づいている。その獣性がまさしくサタンであり、サタニズムは人間の「理性」と「獣性」の両方を引き受ける思想であることが示されている。

8. Satan represents all of the so-called sins, as they all lead to physical, mental, or emotional gratification!
「サタンは、いわゆる宗教上の罪のすべてを象徴する!なぜならば、それらの罪はすべて、肉体的、精神的、あるいは感情的な充足に通じているからだ」

サタニズムの根幹にあるのは、生まれながらにして人は罪深いというステートメントへの明確な反抗であり、自らの快楽を充足させることを肯定的にとらえようとする。

9. Satan has been the best friend the church has ever had, as he has kept it in business all these years!
「サタンは、これまでずっと教会の最良の友人であり続けてきた!サタンは何年もの間、教会の友であることを彼の仕事としてきたのだから」

このステートメントには強烈な皮肉が利いている。キリスト教会が長らくサタンという「神に反逆する敵」を想定し、サタンを退けるために信仰を結束させてきたからこそ、教会は権威を保ち続けることができたのだと皮肉混じりに指摘している。

サタニズムにおける真の自由


ラヴェイの言う「自由」とは果たしてどのようなものだろうか。その答えの一端を垣間見ることができるのが『サタニック・バイブル』の中で語られる「性愛の自由」についての論考だ。

サタニズムでは、どのような性的活動の形体が自分のニーズに適しているかを自分自身で自由に決めるべきだとされ、多様な性のあり方が認められている[1]。さらに、一般的に普通であるとされる規範から逸脱した趣味を持つことについても、望まない人を巻き込まない限りにおいて是認する立場を取っている[1]。

このようにサタニズムでは、他の誰かを傷つけない限り、誰もが自分自身の望む性的表現を自由に追求できる。ただしラヴェイは、「他の誰かを傷つけない」という言葉の意味について、注意すべき点があると強調している。

「“他人を傷つけない”という言葉には、性的な道徳に関する不安や懸念のために、あなたの性に対する考え方に賛同しない人々が図らずも感じてしまった傷つきは含まれない。もちろん、大切な人たち(たとえば、性的に潔癖な友人や親戚など)を不快にさせないように心がけるべきではある。しかし、相手が傷つかないようあなたが真剣に努力しているにもかかわらず、偶然、自分の性に対する考え方を人に知られてしまった時は、あなたに責任はないし、罪悪感を抱く必要もない」[1]

またラヴェイは、「自由」という言葉についても誤解してはいけない重要な点があると指摘している。ラヴェイは、「自分が性的に解放されている」ということを他人や自分自身に対して誇示するためだけに、自己欺瞞的に、あるいは強迫的にあえて奔放な性を追い求めることはサタニックな基準からすれば誤りだと強調する[1]。

性的に解放されているというアピールや誇示に夢中になって、自由を「演じる」ことは、真の自由から大きくかけ離れてしまっている。ラヴェイはそのような状況を「植え付けられた罪悪感のせいで自分の性的な欲求を満たせないでいることと同じくらい間違っている」と指摘している。

サタニズムが提唱する自由は、自己欺瞞的なものであってはいけない。自分自身や他人にひけらかすものでもない。自分の声を聞き、自分に忠実であることがサタニズムにおける真の自由なのだ。

悪魔のささやき


サタニストにとって、「悪魔のささやき」とは、内から湧き起こる誇りと自由の声だ。宗教によって弱々しく萎縮させられてしまった人間性を回復する運動が、アントン・ラヴェイのサタニズムであった。キリスト教によって広められた価値観に挑戦し、人間の理性と獣性の両方をそのまま引き受けようとしたラヴェイの言葉には、人の目を覚ますような鋭さがある。

しかし、その言葉に膝を打つような思いがする一方で、「さすがについていけない」と感じる部分があるのも正直なところだ。ラヴェイが示した、「地上における11の悪魔の規範」というものがある[7]。

1. 求められない限り、意見やアドバイスはしないこと。
2. 相手が聞きたがっていると確信できない限り、自分の悩みを人に話してはならない。
3. 相手の住まいにいるときは、相手に敬意を表すること。さもなければそこへ行ってはいけない。
4. 客人があなたの住まいであなたを困らせたら、容赦なく無慈悲に扱え。
5. 交尾の合図がない限り、性的なアプローチをしてはいけない。
6. 相手にとって重荷であり、相手がそれを取り除いて欲しいと切望しない限り、自分のものではないものを取ってはいけない。
7. あなたの望みを叶えるために成功裡に魔法の力を使ったならば、その力を認めること。成功を収めた後に魔法の力を否定すると、手に入れたもの全てを失うことになる。
8. 自分自身が被らなくてもよい事について文句を言ってはいけない。
9. 小さな子供たちに危害を加えてはいけない。
10. 人間ではない動物を殺してはいけない。ただし、攻撃された場合や、食料のためである場合は除く。
11. 公共の地域を歩くときは、他人に迷惑をかけてはいけない。迷惑をかけてくる者がいれば、やめるよう頼もう。それでもやめないならその者を破滅させよ。

これらの規範は、一見したところ、やはり「悪魔」の名から連想されるイメージとはかけ離れた「まとも」な主張に見える。しかし、11番目の規範では暴力が容認されているようで、穏やかではない。特に、原文では、“destroy him”という強い表現が使われている。すでに紹介したサタニズムの9つのステートメントのうち5番目でも、「復讐」を肯定的に扱っている。

さらに、ラヴェイ派サタニズムの思想には、優秀な遺伝子を持つ人々によって社会階層を作ろうとする優生学的な思想や、明らかに「弱者救済」を否定し「強者」の論理をふりかざしている部分が見られる[3, p.96-99][8]。ラヴェイ派サタニズムの思想は、適者生存や弱肉強食的なロジックで社会をとらえようとする社会ダーウィニズムや、自己責任論と親和性の高い思想体系であることは指摘しておかなくてはならない。

このような「チャーチ・オブ・サタン」の教義が持つ社会ダーウィニズムや優生学、反平等主義を真っ向から批判している別のサタニズム団体も存在する。2013年にルーシェン・グリーヴス(Lucien Greves)とマルコム・ジェリ(Malcolm Jarry)によって設立された「サタニック・テンプル」である[9, 10]。

「サタニック・テンプル」は、専制的な権威や規範に対する反逆のシンボルとしてサタンを捉え、博愛と共感を奨励するサタニズム団体として知られている。サタニック・テンプルは、アメリカの政治におけるキリスト教福音派の影響力に対抗する形で展開されたムーブメントであり、悪魔であるバフォメット像を「対立する者を共存に導くシンボル」として捉えている[11]。

「サタニック・テンプル」は、中絶の容認、疑似科学療法への反対、子供の虐待からの保護、依存症に苦しむ人々への援助や、子供向けの「アフター・スクール・サタン・クラブ(*1)」の開設など、幅広い社会活動を精力的に行っていることでも知られる。「ラヴェイ派サタニズム」がきわめて個人主義的な傾向の強い思想であったのに対し、「サタニック・テンプル」は社会や共同体を視野に入れている点で対照的である。

アントン・ラヴェイは『サタニック・バイブル』に次のような言葉を残している。

He that is slow to believe anything and everything is of great understanding, for belief in one false principle is the beginning of all unwisdom.
「何事も信じるのが遅い人こそ、大きな理解力を持っている。ひとつの誤った原理を信じることは、すべての無智の始まりなのだから。」

この態度と視点は、ラヴェイ自身のサタニズムに対しても当然向けられるべきものだ。ラヴェイの言葉や『サタニック・バイブル』に書かれていることを額面通り受けとって原理主義に陥ることは、ラヴェイのサタニズムにおける第1の罪「愚鈍」を犯すことになるだろう。どんな時も、自分の頭で考え、自分の声を聞くことを放棄してはいけない。いや、この言い方ではあまりにも凡庸だ。ここはラヴェイに倣って、ちゃんとサタニックに言い直そう。

“悪魔のささやきを聞け”

今この瞬間にも、サタンは地獄の底から私たちに語りかけている。

(*1) 「アフター・スクール・サタン・クラブ」は「サタニック・テンプル」によって開設される子供向けの放課後クラブとして知られる。このクラブは、公立学校に宗教を持ち込むことへの反対運動の一環として行われているもので、学校内で他の宗教団体が活動している場合にのみ、それに対抗する形で開設される。放課後サタンクラブでは、サイエンス・批判的思考・創造的アート・地域社会への貢献を重視した教育が行われるという[12]。

参考文献

[1]Anton Szandor LaVey, “The Satanic Bible”, William Morrow Paperbacks (1967).
[2]Church of Satan https://www.churchofsatan.com/
[3]ブランチ・バートン(著), 小森 雪枝(訳), 『悪魔教』, 青弓社 (1995).
[4]高橋ヨシキ・インタビュー2「ボクが悪魔主義者になった理由」 https://www.mag2.com/p/news/247243
[5]高橋ヨシキのクレイジーサタニックTV, 1966年、西海岸にサタンがやってきた! ~チャーチ・オブ・サタン誕生秘話~:https://www.youtube.com/watch?v=XvV6Abu1wFM
[6]The Nine Satanic Sins (Church of Satan’s HP)  https://www.churchofsatan.com/nine-satanic-sins/
[7]The Eleven Satanic Rules of the Earth (Church of Satan’s HP):https://www.churchofsatan.com/eleven-rules-of-earth/
[8]Pentagonal Revisionism: A Five-Point Program (Church of Satan’s HP) https://www.churchofsatan.com/pentagonal-revisionism/
[9]The Satanic Temple
https://thesatanictemple.com/
[10]Church of Satan vs. Satanic Temple (Satanic Temple’s HP) https://thesatanictemple.com/pages/church-of-satan-vs-satanic-temple
[11]町山智浩のアメリカの今を知るTV with CNN #64 https://www.youtube.com/watch?v=uBMiF-G6wZE
[12]AFTER SCHOOL SATAN (Satanic Temple’s HP)
https://thesatanictemple.com/pages/after-school-satan

WRITING BY

四万十川ミドリムシ

ライター

青森県生まれ、千葉県育ち。博士(理学)。大学院で非線形物理学を専攻し、現在は、複雑系物理の観点から生き物の行動と脳のしくみを研究している。浄土宗の僧侶。好きなSF映画は『ブレードランナー』と『平成狸合戦ぽんぽこ』。