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PHILOSOPHY

ピタゴラスが見た、数が万物を織りなす世界〜「アテネの学堂」スーパーガイド④〜

 

ピタゴラスが見た、数が万物を織りなす世界〜「アテネの学堂」スーパーガイド④〜

「直角三角形の、直角をはさむ二辺の平方の和は、斜辺の平方の和に等しい」、直角三角形の三辺をそれぞれabc、斜辺をcとすると以下の式が成り立つ。

誰もが一度は習ったこの定理は、「ピタゴラスの定理」と呼ばれ、紀元前6世紀の数学者、天文学者、宗教家で哲学者であったピタゴラスによって発見されたとされている。

「人生を何度生きてきたのか!」と驚嘆されるほどの知性を持っていたとされ、哲学者であると同時に「万物は数である」とする宗教団体を創設し、教団で学問を追及した。その分野は数学、天文学、音楽など多岐にわたり、その後のヨーロッパ文明、そしてコペルニクスからニュートンという現代科学へ大きな影響を与えた。絵画『アテネの学堂』に描かれたピタゴラスの姿を入り口に、その稀有な知性を辿ってゆきたい。

その者の言葉、万物の真理、金言なり

「アテネの学堂」の左下に、淡いピンクの衣に身を包んだピタゴラスがいる。

座して本に何かを書きつけ学問を探求している。その周りは時代を超えたピタゴラス学派の弟子と思われる人々が取り囲み、彼の言葉を一言も聞き漏らさんとしている。

ピタゴラスの後ろにいる弟子が誰かは諸説ある。おそらくボエティウスだろうと言われているが、エンペドクレス、タレントゥムのアルキタス、イアンブリクスだとも言われている。

しかし、アナクシマンドロスの彫刻との顔の類似点も度々指摘されている。

ターバン姿のイブン・ルシュドは弟子の中でもよく目立つ。

右前にいる若者はピタゴラスが研究していた“Epogdoon(エポクドーン)”という、西洋音楽理論で言うところのメジャーセカンドを表す黒板を持っている。

ラファエロはピタゴラスとユークリッドのグループを左右に配することで、万物の背後にある真理を追求するという、ルネッサンスの知性の根幹を担う画面構成としたのだろう。

20回生まれ変わった男

ピタゴラスはエーゲ海の東部にあるギリシャのサモス島の人であったと伝えられている。

魔術師やシャーマンのようにみなされていた哲学者シロス島のペレキュデースやヘルモダマスに師事したのち、ミレトスのターレスの塾に入った。

ターレスはピタゴラスに数学、幾何学に関する知識を与え、その後更なる好学のためエジプトへと渡った。当時のエジプトは天文学や測量、土木で非常に高度な文明を誇っていた。

ピタゴラスは様々な学問を習得するとともに、エジプトの共通語も学び、あらゆる土着宗教祭儀にも参加したとされている。10年ほどの留学期間の後、ペルシャ軍のエジプト遠征に伴い、捕虜として現在のイラクのメソポタミア南部の都市国家バビロニアへ連れて行かれた。

バビロニアはエジプトより更に高度な文明を誇りピタゴラスを驚かせた。有名なピタゴラスの定理の「三平方の法則」も、最初はバビロニアで見たものと言われている。古来よりバビロニアでは(またエジプト、中国、インドなど他地域でも)測量などで使用されていたと考えられるが、意味や法則性に興味は持たれていなかったため、ピタゴラスが初めてその数の法則性を探求し、定義した人物であると言えよう。

サモス島ピタゴレイオンの遺跡

その知識量は他を圧倒し、エンペドクレスはピタゴラスを「測り知れぬ量の知の所有者……人間の生を10回も20回も経ることにより万物をことごとく見通した人」と言っている。この評価はあながち大げさな賛辞ではなく、ピタゴラス自身は公然と前世の記憶があると述べており、魂は「必然の輪」を巡るという“輪廻転生”のアイディアを公言した最初の人と言われている。

これはギリシャでは全く見られない非常に東方的な考え方であったが、人間の魂が次に動物にも転生し得るというのは他にも類をみない話であった。ある時仔犬が打たれているのを目撃すると、「止めろ、打つな、友人の魂だ」と叫んだと言われている。

彼の風貌は威厳に満ちていたとされており、人々は彼を「ヒュペルボレオイ」というギリシャ神話に登場する伝説上の極北の民族のアポロンに例えた。即ち人を魅了する容姿をしていたということだろう。

またピタゴラスの話法についてクラティノスはからかいながら「対句語法や詭弁、また、大層な言葉を用いて、巧みに困惑させ、混乱におとし入れているのだ」と批判的に伝えているが、これは彼に惹き寄せられる人々の多さに他人が危惧を感じるような、カリスマ的な話法の持ち主であったことを逆説しているようにも思える。

その後、自由の身になったピタゴラスが南イタリアへ移住する頃には、ピタゴラスの名声は全ギリシャまで轟き、生徒が集まりピタゴラス学派が生まれた。学派は「数」を万物の原理とし崇拝する宗教教団の様相が強く、ピタゴラスは教祖のような存在として信奉されるようになった。

豆を畏れよ、口を閉ざせ、数を崇拝せよ

この教団には、己の魂を浄化する目的の様々な戒律があった。今でいう厳律シトー会のような、禁欲的修道会のようなものだったのだろう。

例えば新参の者は5年間沈黙を守ることが要され、師の講義に耳を傾けるのみとされ、試験のようなものに合格しなければ教祖であるピタゴラスに面会することは許されなかった。教団の教義は秘匿なものとされ、口外されなかった。

教団の者たちには水と火の通っていない食べ物、野菜や小麦や大麦や供物の菓子など主にベジタリアン食を食すように求めた。またスズキ目の魚ヒメジや、メラヌゥロスという魚、動物の心臓、そして特に豆を食べることを禁じていたことは有名である。

こうして見ると宗教団体の側面が強いように思われるが、ピタゴラスの教団の最もユニークだった点はそこで宗教的実践のみを追及するのではなく、学問的な追及をもって魂を浄化しようとしていたことだろう。

教団は、数学、幾何学、天文学、音楽の4つの学問を軸として研究を行っていた。

特にピタゴラスは幾何学の数論的な側面を最も深く研究していたと言われている。教団の戒律に従い、詳しい初期ピタゴラス教団の教えは不鮮明であるが、学徒の一人フィロラオスは「認識されるものは、すべて数をもっている。なぜなら、数がなければ、なにものも考えることも、認識されることもできないからである」と語っており、数学が万物の基本的原理として認識されていたことが分かる。

かのピタゴラスの定理を発見した際には、100頭の牡牛を神への生贄に捧げたと言い伝えられている。発見の由来ははっきりとは分かっていないが、一説にはピタゴラスが床に貼ってあった規則正しいタイルの上に図を書いているうちに見つけたとも言われている。しかし教団の発見も秘匿されていたために、真にピタゴラスによるものだったかは今日まで定かではない。

ギリシャへ度量衡を導入したのもピタゴラスだったとされている。また宵の明星と明けの明星は同じで地球は丸いとも説き、天文学の探求にも勤しんだ。医学にも無関心ではなかったとされている。

教団は音楽の中にも数を見出し、一弦琴をもとにして音階も発見している。オクターブなどの音階の比例は数的調和を持ち、それが宇宙全体にも存在し、天体は耳で聞こえない天上の音楽を奏でていると唱えられた。

ピタゴラスは「宇宙」という語を「コスモス(秩序)」と呼んだ最初の人物だったとされている。秩序は数の間の比率や調和で成り立ち、その調和が宇宙全体にも及んでいると考えた。そしてそれを把握するには人間に知性が必要であり、把握されたものは知識となっていくとした。

それでも地球はまわる

その圧倒的知性とカリスマ性によって影響力を増していたピタゴラスが、様々な敵を作ったことは想像に難くない。

最晩年、入門を断られた人々の嫉妬心からの凶行か、または彼の政治性を恐れた者からの弾圧か、ピタゴラスと教団一門は遂に拠点としていたクロトンの街を追われる身となった。

なんとか逃げ出したピタゴラスであったが、走りついた先は何の宿命か、教団で強く禁じた豆畑が広がっていたのである。ピタゴラスはそこで立ち止まり「豆を踏みつけるよりも、むしろここで捕まろう。無駄に話し合うよりも殺された方がましだ」と言って、追手に喉を掻き切られて最期を迎えた。ピタゴラスの中で豆にどんな思想的、はたまた数学的意味があったのか、それは今でも謎のままである。多くの弟子も時を同じくして殺害され、ピタゴラス教団はここで終焉を迎えた。

ピタゴラスと弟子たちの悲劇的な死後も、ピタゴラス学派は連綿と受け継がれていった。
プラトンとアリストテレスも数学を哲学の一側面として捉えた点でその影響を多大に受けており、ピタゴラスはルネッサンス期までの西洋文明の礎石のひとつとなったと言えるだろう。

反対に純粋にピタゴラス的である、万物の背後には数学的原理が隠されているという探究姿勢を受け継ぎ、一説ではピタゴラス学派であったと言われているサモスのアリスタルコスの地動説から、1800年以上の時を経たコペルニクスへの影響は多大なものがあった。

その後コペルニクスからケプラー、そしてガリレオに至り、ピタゴラス的探求はキリスト教異端のレッテルを貼られるようになる。だが、それでも、数学的好奇心は物事を明らかにし続け、地球はいつでもここで回っていた。そしてピタゴラスを起点とした壮大な道行は、ニュートンから私たちへ、科学という礎で現代へ繋がったのである。

さて、ピタゴラスの輪廻転生がもし本当だったとしたら、今この世のどこかにも、彼の全てを受け継いだ者が実在する可能性だってあり得る。

ダ・ヴィンチのような博学の探求者だろうか、はたまたアインシュタインのような世界を変える天才だろうか。もしそんな人を見つけられたら、古代ギリシャの記憶と知性の悠久の蓄積を、この目で眺めてみたいものである。

参考文献

岩田靖夫著「ギリシア思想入門」東京大学出版会、2012年
寺田寅彦著「ピタゴラスと豆」角川ソフィア文庫、2021年
堀場芳数著「無理数の不思議」講談社、1993年
斉藤毅著「抽象数学の手ざわり」岩波科学ライブラリー 305、2021年
ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳「ギリシア哲学者列伝(下)」岩波書店、1994年
高畠純夫著「古代ギリシアの思想家たち〜知恵の伝統と闘争〜」山川出版社、2014年
荻野弘之著「哲学の饗宴〜ソクラテス・プラトン・アリストテレス〜」日本放送出版協会、2003年
荻野弘之著「哲学の原風景〜古代ギリシアの知恵のことば〜」日本放送出版協会、1999年
納富信留著「西洋哲学の根源」放送大学教育振興会、2022年
数学セミナー編集部編「数学100の定理」日本評論社、1999年

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者