PHILOSOPHY

5分でわかる、旧約聖書とその影響 〜人類史上最大のベストセラーを読み解く〜

 

1999年版のギネスブックに、1815年から1998年の間だけでも推定3880億回印刷された人類最大のベストセラーが掲載されている。「聖書」である。

単一書籍では歴史上最も印刷されているミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』が約5億冊であることからも、その数字の膨大さがどれほど異質かは分かる。

ユダヤ教とキリスト教という2大宗教が聖典とし、またイスラム教が旧約の一部を聖典とする聖書を知らない人はいないが、実際に読んだことがあり、内容を理解している人はごく少数になるだろう。聖書を知ることは現代の価値観や社会構成、世界中で巻き起こる紛争の起因を知ることにもなる。

聖書の内容を旧約と新約に分けて解説し、現代に与えている社会的影響について考察してみよう。

「旧約聖書」とは何か

本文では、日本聖書協会「聖書 新共同訳ー旧約聖書続編つき」より引用を行っている。
まず、「旧約」と呼称しているのはキリスト教だけであり、ユダヤ教にとってはこれが唯一の聖典であるために単に「聖書」または正式名称「律法(トーラー)、預言書(ネビイーム)、諸書(ケスビーム)」の頭文字を取って「TNK(タナハ)」などと呼ばれている。

神が天地万物、人間、イスラエル民族を創造したという「創世記」から始まり、アブラハムという人物を太祖とするイスラエル民族の歴史と神との関係を記した書物で構成されている。原文のほとんどはヘブライ語で、一部はアラマイ語で書かれている。

「創世記」では、神がいかに万物を創造したかが記されている。神が作ったアダムとイブが果実を食べて楽園を追放される、人類最初の殺人を記すアダムとイブの息子たちカインとアベル、アダムの系譜子孫であるノアの箱舟と洪水、世界中で言語が分かれるきっかけになったバベルの塔のエピソード、そしてノアの子孫であり神から約束の地を与えられたアブラハムと、神と格闘し勝ったことで「イスラエル(イスラ=戦う、エル=神)」という名を与えられたヤコブなど、世界中で知られた著名なエピソードの連続で構成されている。

「出エジプト記」で、神はエジプトで奴隷になっていたイスラエルの民を救い、シナイ山でモーセと契約を結び、モーセたちは約束の地カナンへ再び向かい始める。モーセが海を割り歩く有名なエピソードはここに記されている。

「レビ記」「民数記」「申命記」の三書では、出エジプト記で結ばれた契約によって神からイスラエル民族に求められる生き方が示されている。創世記から申命記までの五つを合わせて「律法(トーラー)」「モーセ五書」と呼ばれている。五書の著者は伝統的にモーセであるとされている。

モーセ五書のあとには、イスラエル民族の歴史的な体験を物語る書物が続く。これは神と人間との関わりがイスラエル民族の生活の中で展開しているためである。イスラエル民族は時に神に不誠実であるが、そうした記録も残され、それによる神による激しい怒りの裁きとその影響も全て記されている。旧約聖書の神は、とても厳しいのである。ただし裁きの後には救いも差し伸べられる。

「ヨシュア記」は、モーセの後継者であるヨシュアの指導の下行われた、イスラエル民族による約束の地カナン征服の戦いを記録している。

「士師記」では、征服した土地カナンでの定住が様々な困難を伴い、民が徐々に信仰を忘れる様子まで記される。イスラエル民族の中に神の業を知らない世代が現れると、カナンにもともといた人々の礼拝する神に傾き、近隣の民に屈服し度々堕落するようになる。神は堕落の度に怒りに燃え、敵による略奪など災いをもたらした。

「サムエル記」「列王記」では、神に選ばれた王、サウルとダビデによるイスラエル中央集権がいかに成立し王朝が誕生したか、そして外国勢力であるアッシリアとバビロニアによるイスラエルのサマリアとエルサレム陥落、イスラエル王朝の終焉までが記録されている。

これら数書のイスラエル史のあとに、知恵文学と呼ばれる、神の教えに従って正しい生き方を教える書物が続く。

最後は”預言者”と呼ばれる、神の言葉を語るために呼ばれた人々の書いた書物が並ぶ。

九百年生きた7人

さて、創世記をまず読むと驚くのは、人間が900年はざらに生きているという記述が散見される点である。例えば神が創った最初の男であるアダムは「九百三十年生き、そして死んだ」(創世記5:5)、 ノアも「九百五十年になって、死んだ」(創世記9:29)と記載がある。創世記ではその他5人が900年以上生きた。その長寿の描写がどんな歴史的事実を反映していたのかは所説あるが、人類の人口が極めて小さい時代に寿命が短ければ、わずかな自然的因子で死んだ場合に子孫が反映しないかったから、とイスラム世界の一部では解釈されているという。

しかし神は「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」(創世記6:3) と言って人の一生を120年に改めたと記されている。人体の細胞内にある寿命を決定づけるテロメアという染色体の観察上最長寿命は細胞分裂50回分、ちょうど120年であるから、人間の科学的寿命限界は現状120歳ということになっている。不思議な符号である。

創世記の冒頭、「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。」(創世記1:3) という記述がある。この部分は新約聖書ヨハネによる福音書にも「初めに言(ことば)があった。」(ヨハネ1:1) と再度記されている象徴的な部分である。先に言葉があり、そこから事象・概念が生まれるというのは、認知学の中で「サピア=ウォーフの仮説」として知られる言語相対論に共通する部分があるだろう。サピア=ウォーフの仮説は、言語が認知や思考に影響を与えるとしている。

また、先に言葉が生まれることで認知や概念が立ち上がってくるという点では、免疫学者の多田富雄が『生命の意味論』の中で、”アポトーシス”という細胞の自死現象が、それまで存在していたにもかかわらず現象に”アポトーシス”という名前がつけられるまでは認識されなかったという例を紹介している。

安息日には、電気のスイッチを押せない

創世記で神が創った男女アダムとイブは、蛇の誘惑により禁じられた「善悪の知識の木」の果実を口にしてしまう。「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」(創世記3:7) 善悪を知るということは、自由選択という意思決定権を与えられたということでもある。人は善行も、また悪行も自己選択できるということの、いかに自由で危険なことかは、我々人類がよく知っているところだろう。

神がアダムに「お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。」(創世記3:17) と言うが、これは労働の根源と考えられ、拡大解釈されて、労働は苦役であるという価値観が根深い時代も存在した。

創世記2:2では「第七の日に、神は自分の仕事を離れ、安息なさった。」という安息日の記述がある。安息日は元来土曜日であった。出エジプト記と申命記には、安息日には労働してはならないという掟と、神がイスラエルの民を奴隷状態から救い休みを与えたことが記されているため、ユダヤ教では現在も安息日(ヘブライ語でシャバット)は非常に重要な日である。

イスラエルでは現在も、金曜日の夕方から土曜日の夕方まで週一回、全ての公共交通機関、小売店やショッピングセンターまで閉店し、街は驚くべき静けさを保つ(乗り合いタクシーは例外的に運行するが、運転手はユダヤ人ではない者が務めるため非常に数が少ない)。ニューヨークには超正統派ユダヤ教徒が多く暮らすことで有名だが、シャバットの日は電気や火の操作が許されないため、”超正統派の隣人に家の照明ボタンを変わりにつけてくれと頼まれる”、など、時折聞く話である。

新約ではイエスの復活などが「週の初めの日」である日曜日に起こったことから礼拝が日曜日に行われ、ローマ帝国時代に日曜休業令が出された。ちなみにイスラム教では諸説あるが、イスラム教徒は他の創造物より早く審判される者として考えられ、土曜日と日曜日より早い金曜日が休日とされている。

天空から降るミステリアスなパン「マナ」

旧約聖書で度々言及される、世界で最もミステリアスな食べ物は「マナ」だろう。

出エジプト記で荒れ野に入ったイスラエルの人々がモーセに食べ物がないと不満を申し立てると、神は「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。」(出エジプト記16:4) と言って、露が蒸発すると地表を覆う薄くて壊れやすい、神の言う”パン”が与えられた。「それは、コエンドロの種に似て白く、密の入ったウェファースのような味がした」(出エジプト記16:31) と記されている。

マナは40年間ずっとイスラエルの民に与えられ、ヨシュア記5:12で土地の産物を食べ始めると絶えた。マナが一体どんな食べ物だったのか、未だ検証も進んでいるが、はっきりとしたことはわかっていない。

“約束の地カナン”は誰のものか

創世記15:18‐21でアブラハムに与えられた約束の地”カナン”は古代の地名であり、一説には、北はイスラエル北部のテルダン、南はイスラエル南部のベエルシェバ、東はヨルダン川、西は地中海までの範囲を指すと言われている。もともと旧約聖書では先住民であるカナン人と呼ばれる(フェニキア人とする説が有力である)人々が暮らしていた土地であり、ヘブライ語ももともとカナン人の言語が由来であるとされる。またカフトルから来た民族で、アブラハムの時代より前からヨッパからエジプトの砂漠に至る地中海沿岸の肥沃な平地を領有していたペリシテ人もおり、旧約の記載では長きに渡りイスラエル民族と軍事的対立にあった。パレスチナとは、「ペリシテ人の土地」という意味のヘブライ語であり、ローマ人が紀元前12世紀頃呼称し始めたとされる。

ヨセフの家族が飢饉を逃れるためにカナンを捨てエジプトへ渡ってから480年後、モーセ率いるイスラエルの民60万人ほどは、エジプトから再び約束の地カナンを目指すが、300kmの距離を移動するのに40年かかっている。モーセは山からカナンの土地を見下ろすところまで到達するが、入ることなく亡くなる。
ヨシュア記では再びカナンを目指すが、その頃カナンには様々な民族が既に定住していたため武力で制圧し激しく「滅ぼし尽くした。」(ヨシュア6:21)

イスラエルによる王国建国後も、南北分裂による王国の分化、アッシリアやバビロニアによる統治、ペルシャ帝国による統治、アレクサンドロス大王による大帝国のオリエント統一、オスマントルコによる統治、国連によるパレスチナ分割、中東戦争、イスラエルによるパレスチナ東エルサ レムを含むヨルダン川西岸・ガザ地区の占領、その後の国有地化宣言と入植運動など、多民族、多教派の血を伴う歴史が重なり合う土地だからこそ、その経緯は今日まで複雑な様相を呈しており、その解決は未だ容易ではない。

モーセの疫病の災いに見る現在

出エジプト記9:1‐7の「疫病の災い」は、非常に古い伝染病の描写である。旧約聖書に度々現れる様々な疫病が、神からの裁きと捉えられるほど恐ろしいものだったことは、新型コロナウィルスの脅威を間近に目撃した今また大きな実感を伴うだろう。また現在も、聖地を巡る激しい戦いと血の因果は留まるところを知らない。聖書の中に現在も変わらない文明の動向に似た部分を見つけ、それを深く多角的な視点で思索してみることは、とても興味深く重要なことである。

聖書を読んでみるという経験は信仰者でなければなかなか無いと思われるが、世界の様々な人々の現代的価値観や社会構成、係争問題の根幹に大きく影響を与えていると考えれば、国際社会理解に欠かせないのである。

参考文献

日本聖書協会「聖書 新共同訳 ー旧約聖書続編つき」
小川英雄著「聖書の歴史を掘るーパレスチナ考古学入門ー」東京新聞出版局オリエント選書、1975年
山形孝夫著「聖書の起源」株式会社講談社、1976年
和田幹男著「聖書年表・聖書地図」女子パウロ会、1989年
デイビッド・P・バレット著「コンサイス聖書歴史地図」いのちのことば社、2019年

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者