PHILOSOPHY

不動の魂で苦難を生き抜く、ストア派のゼノン〜「アテネの学堂」スーパーガイド③〜

 

ストイックを生きるヒーローたち

レイモンド・チャンドラーの小説に登場する私立探偵フィリップ・マーロウというキャラクターは、今日の“ストイック”の代名詞である。

割に合わない仕事を引き受け、どんなに痛めつけられても徹底して忍耐を貫き、やせ我慢というほど自分の信念に忠実。権力にも決して屈しないマーロウのストイックな生き様は、多くの読者に影響を与え続けてきた。

マーロウ以外にも、ストイックに仕事に生きる男たちを描いたマイケル・マン監督の映画「ヒート」や、「ONE PIECE」のロロノア・ゾロ、「北斗の拳」のケンシロウ、イチローやオータニ、人類の気力体力の限界に挑むエベレスト登山やアドベンチャーレースなど、ストイックな人物やコンテンツは常に高い人気を誇り人を惹きつけ続けている。

私たちが彼らに羨望の眼差しを持つのは、激しい忍耐と努力と冷静さを実現することが難しいゆえに、究極のヒーロー像を彼らに投影しているからに他ならない。

ではそもそも「ストイック」という言葉自体はいつから日本で使われるようになったのだろう。

辞書を調べると、ストイックとは元々、古代ギリシアの哲学者ゼノンが始めた「ストア哲学」またはゼノンの思想に追従する「ストア派の人々」を指す言葉であったとある。

国会図書館に収蔵されている中で最も古くは、明治20年に出版された菅了法著『哲學論網』に、“[ストイック]派”という記述と共に学説の紹介がされている。その後三省堂編修所によれば、1960年代から短歌などを通じて「禁欲的に厳しく身を持するさま」などを表す現在の意味で「ストイック」と書き表され使われるようになったとされている。

ラファエロ・サンツィオが描いた『アテネの学堂』の左端には、長い髭を蓄えた老賢人、ストア哲学の始祖『ゼノン』が群衆の中にそっと紛れ込んでいる。人々や王にすら讃えられた哲人ながら、宴席や集いにおいて誰よりも端で佇むことを厭わない。その佇まいはフィリップ・マーロウたちストイックヒーローの美学である忍耐を体現しているようにも見える。

本文ではストイックの語源であるゼノンの生き様から、ストア哲学とは何だったのかを見つめていきたい。

パーティー嫌いの哲人

『アテネの学堂』の中でゼノンは、葡萄の葉の冠を被ったエピクロス(とされているが諸説ある)の後ろに僅かに頭だけが出ている。帽子を被った老いた哲人である。

どの情報を探していても、『アテネの学堂』のどこに誰が描かれているかというリストに「ゼノン」と記されているものの、絵の隅に殆ど頭だけしか見えていないこの人物がゼノンだと何故特定できたのか長らく疑問に思っていた。しかしイタリア貴族ファルネーゼ家のコレクションである古代ギリシャ時代のゼノンの胸像を参照すると、何のことはない、一目瞭然に顔がそっくりなのである。長い髭を蓄え、物憂げな、思慮深い表情で物事を見つめている。

ゼノンの前にいる葡萄冠のエピクロスのモデルは、ラファエロが親交のあった雄弁家フェドラ・インギラミである。現実には斜視に苦しんでいたインギラミを、伏し目がちに見栄えよく描いている。ゼノンのモデルは見つかっていないが、ここまでゼノン本人の胸像と似ていれば敢えてモデルを立てなかったとも考えられるだろう。

ゼノンは宴席を好まず集いの場から知らないうちに消えているということが多かったと伝えられているので、彼がソクラテスたちアテナイ時代の哲人の面々に紛れて画面の左淵にすぐにでも立ち去りそうに佇んでいるのは納得である。

難破船がもたらした運命

裁判を受けるソクラテス

ディオゲネス・ラエルティオス著『ギリシア哲学者列伝』によれば、ゼノンはキプロス島のキティオンで紀元前335年に生まれたフェニキア人(今のシリア系の人々)であったとされている。キティオンはフェニキア人移民を受け入れていたギリシャ人都市であった。

彼の首は片方がかしいでいたと伝えられている。また痩せすぎていて背はひょろ高く、肌の色は浅黒かった。元々の職業は商人であった。

ある日フェニキアから輸入した紫の染料を船荷として航海中に、ペイライエウス(ギリシャ最大の港、ピレウス)の近くで難破してしまい、アテナイへ上って行くことにした。そこで一軒の本屋を見つけて腰掛けた所、一冊の本に出会う。それがソクラテスの弟子であったクセノポン著の『ソクラテスの思い出』第二巻だったのである。

ゼノンはそれを大変気に入り、“ここに書かれているような人たちはいったいどこに暮らしているのか”と本屋の主人に尋ねた。するとそこに偶然にも犬の哲人ディオゲネスの弟子であったクラテスが通りかかったため、本屋の主人はクラテスを指差して”あの人について行きなさい”と言った。その日から運命的にもゼノンはクラテスの弟子となり、哲学の道へ没頭していくことになったのである。

その後クラテスの他にメガラ派のスティルポンやアカデメイア派のクセノクラテスにも其々10年間師事したと言われている。鍛錬の末に自身の思想を確立し、アテナイのアゴラ(アテネ中央北西部に位置した様々な公共施設の集まった広場)の北側にあった「ストアポイキレー」と呼ばれていた柱廊で講義を行うようになった。

ストアポイキレーは“彩色された柱廊”と言う意味だが、その名の通りポリュグノトスの絵が描かれていた。ゼノンはストアの中を歩いて行ったり来たりしながら聴衆に説いた。なぜゼノンがそこを選んだかについては、ゼノンが人が集まる場所が苦手だったため、過去に1400人もの市民が大量処刑されたといういわく付きのストアポイキレーを敢えて選んだそうだが、結局ゼノンの講義を聞こうと人々がそこに集まったため、その人たちが「ストアの徒」と呼ばれるに至った。

これがストア哲学の始まりである。
 

魂が萎縮する苦しみに惑わされない

ゼノンの哲学に関しては、多数あった著作が一切現存していないことから純粋にゼノンのみの思想を知ることは難しいが、伝えられている著作の内容や逸話、ゼノンの弟子たちを含めた初期ストア哲学の資料から窺い知ることができるだろう。

ストア派は論理的思考を備えた問答の方法から、今日の自然科学的な惑星や宇宙への鋭い観察、また人はどう生きるべきであるかという規範など、幅広い分野について考察していた。

ゼノンは、全ては物体であるとして非感覚的存在を認めなかったが、自然は「神(ゼウスを最上位とするオリンポスの神々)」であると考えた。自然は宇宙的原理として全てを形成して動かす力と想定したことで、神が自然をもコントロールする一神教とは違い、神が自然そのものとして内在するストア派の見方は汎神論であるとも言える。

自然が全てを決定しているということは、決定論、運命論へと繋がり、人間に反抗できることはないと考えられた。自然の原理に沿って自分自身をコントロールするということに重きが置かれ、ゼノンは「自然に従って生きよ」という言葉を残している。

ゼノンは情念(ギリシャ語でパトス。嫉妬や欲望、苦痛など)を魂の非理性的で自然に反した動きであり、度を越えた衝動であるとした。ゆえに賢者とは、パトスに溺れることがないために動ずることのない者(ギリシャ語でアパテース。“不動の者”)であるとされていた。

また“よき人”とは厳格で、驕り高ぶらず、快楽に近づかない。酒は飲むが酔わず、怒り狂うこともない。時に鬱状態に陥ったりしたとしてもそれは自然に反して生まれていることで、賢者は苦痛や悲しみを感じることもないと規定された。苦痛とは魂が理性を失って萎縮している状態と考えられていたからである。また幸福であるためには、(裕福であるかではなく)徳さえあればそれだけで充分だとも説いている。

これほど“よき人”であることが難しそうであると思ったことは無いが、すなわちこれを理想として生きるというということがもたらす効果は多大にあっただろう。魂が萎縮するようなストレスに晒されている現代人なら尚更である。

心のモヤモヤや不安に惑わされないというのは、人間が常に向き合う問題であり、時代を問わず誰もが希求する救いであるだろう。

現代のメンタルフィットネス「ストイシズム」

アメリカでは今、ストア派哲学「ストイシズム」が困難な現代を生きるストレス社会の清涼剤、“メンタルフィットネス”として再び注目されている。

ハフィントンポストのアリアナ・ハフィントンやTwitterのジャック・ドーシーらがストイシズムを実践しており、“シリコンバレー・ストイック”などと呼ばれている。アンガーマネジメント、ストレスケアを目的として、広く再び知られるようになり、ストア派哲学書はビジネスパーソンに向けた書籍として売り上げを伸ばしている。はるか2300年以上前の哲人が到達した精神的不動の生き方は、現代人にも影響を与え続けている。

ゼノンは柱廊での講義で多くの追随者を生み、アテナイ市民の大変な尊敬を集め、当時のギリシャのことわざや慣用句として「哲学者ゼノンよりも、もっと自制心がある」などと言われるまでになった。
多くの弟子がそれぞれに偉大な賢者となり、ローマ時代のセネカやエピクテトス、マルクス・アウレリウスまで連綿とその哲学は受け継がれていった。

ゼノンの最後は諸説あるが、学園から出かけて行こうとした折につまづいて足の骨を折り、それを自然のもたらす運命であると捉えた彼は、大地を拳で叩き

「いま行くところだ、どうしてそう、わたしを呼び立てるのか。」

というティモテオスの演劇『ニオべ』の台詞を口にして、その場で自分の息を止めて没した。

船が難破したことで全ての富を手放し哲人になった時、「わたしを哲学のほうに駆り立ててくれるなんて、運命はほんとうに親切なことだ」と言ったという。ゼノンは数奇な人生の中で何事にも乱されない魂の平安を見出し、紀元前263年、多くの人々に愛されたアテナイでその生涯を終えた。

参考文献

菅了法著「哲學論網」集成社、1887年
戸水寛人著「すといつく哲學と羅馬法」法理論;第1編、法理研究会、1898年
ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳「ギリシア哲学者列伝(中)」岩波書店、1989年
高畠純夫著「古代ギリシアの思想家たち〜知恵の伝統と闘争〜」山川出版社、2014年
荻野弘之著「哲学の饗宴〜ソクラテス・プラトン・アリストテレス〜」日本放送出版協会、2003年
荻野弘之著「哲学の原風景〜古代ギリシアの知恵のことば〜」日本放送出版協会、1999年
納富信留著「西洋哲学の根源」放送大学教育振興会、2022年

Dictionaries & Beyond WORD-WISE WEB
三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺
10分でわかるカタカナ語 第38回 ストイック、 三省堂編修所:https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/第38回-ストイック

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者