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私たちの中に生きるネアンデルタール人

琥珀の中のDNAというファンタジー

映画「ジュラシックパーク」では、琥珀に閉じ込められた蚊から恐竜の血液サンプルを抽出するという、何とも科学的にありえそうな方法が描かれていた。子供心にこれなら恐竜が本当に甦るかもしれないと、ドキっとしたことをよく覚えている。

このロマンに溢れた空想に世間は沸き、90年代には様々な研究者が琥珀の中のシロアリや恐竜などのDNA解析に挑んだ。しかし幾多の論文が発表されるも実際の成果は殆どが眉唾物で、抽出されたDNAは発掘時などに混入した現代人のものと発覚したり、琥珀に触れたDNAは50年以内に壊れてしまうこともわかった。こうしてジュラシックパークに後押しされたゲノム研究の狂乱は沈静化し、絶滅生物の解析は実現不可能なファンタジーに戻ってしまったかに思われた。

しかし2010年、マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授のグループは、既に絶滅したネアンデルタール人の全ゲノム解析を人類で初めて完成させたと発表し、世界中に衝撃を与えた。

誰もが夢見たSF物語が、ついに現実のものとなったのである。

また2010年の論文を起点として、手の小指の先端という非常に小さな骨の化石から、全く考古学的証拠の存在しなかったデニソワ人という別の新種人類がいたことが解明されるなど、その後も世紀の大発見が相次ぐこととなった。これまで考古学が長い年月をかけて化石や石器などから推測していたところから大きく飛躍した、「古遺伝学」という学問分野が確立された瞬間である。

2022年には、古遺伝学の可能性を四半世紀に渡る苦闘と共に追求し続けてきたペーボ教授に、ノーベル生理学・医学賞が授与された。

ここではスバンテ・ペーボ教授グループの研究に着目し、ゲノムが切り開いた古代人類の旅路を辿ってみたい。

遠くて近い隣人、ネアンデルタール


ネアンデルタール人とは、我々と同じヒト属に属する既に絶滅したヒトである。

スペインで見つかった43万年前の化石が、発掘された中では最古のものとされているが、彼らがいつ頃出現したかは未だ明らかになっていない。

がっちりした体型の狩猟採集民で、脳は我々よりやや大きい。3万年前に絶滅したと推測されている。絶滅理由には諸説あるが、考古学的資料に限界がある為断定することは難しい。ユヴァル・ハラリの「サピエンス全史」などで大々的に取り上げられていたホモ・サピエンス(現生人類)による大虐殺なども有名な説であるが、実際には両種が共存しながら盛衰を繰り返していた可能性が示唆されている。

よく勘違いされているように、ネアンデルタールからサピエンスに進化し現代人に到達したわけではない。現代でも動物に様々な種がいるように、同じ猿人類の祖先から枝分かれした私たちは、チンパンジーなどと分岐し、さらにネアンデルタール人と現生人類が接触し、しばらく共生していたことがわかっている。石器からは、ネアンデルタール人には現生人類に劣らない技術や、死者を弔う文化もあったことが分かっているが、数少ない出土品から推測できることは限られており、ネアンデルタール人の実像は謎につつまれていた。

特に現生人類とネアンデルタール人が地球上に共存していたのであれば、彼らは“交雑していたのか”というのが長年大きな焦点であった。それは「現生人類を現生人類たらしめるものは何か」という、私たちの存在の根幹に関わる問いである。

“記憶の書”が甦る時

ペーボ教授のグループは、クロアチアのヴィンディヤ洞窟から発掘された、骨格の状況などが分からず形態学的価値が無い21個のネアンデルタール人の骨を粉末にしてDNAを抽出した。

はるか後期更新世の化石から抽出されたDNAは、当然バラバラになっており、まるでピースが大量に失われた山のようなパズルである。そこに化学物質による飾りや遺体に巣食っていた微生物のDNAなどに加えて、現代人のDNAが最大40%混入するなど”汚染”も起こっていることが分かった。汚染はDNA解析の深刻な壁であり、ペーボ教授自身も1985年にエジプトのミイラから抽出したDNAとして発表したものが実は研究室で混入した移植抗原遺伝子だったなど、初期に大変な辛酸を舐めている。

教授は長年をかけて”クリーンさ”にパラノイアのように固執しながら試行錯誤を繰り返し、一切のDNA混入の無い完全なクリーンルームを整備し、実験者を少数に限定、古代人のサンプルに見られる特徴的なDNAの損傷をフレームワーク化して汚染部位と比較するなどの汚染対策メソッドも確立した。

パズル片から一つひとつ余分なDNAを取り除き、ネアンデルタール人に近いチンパンジーや現代人のDNAと比較して破れたページを復元して繋いでいく作業は途方もないものだったに違いない。そしてついに2008年、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを解明し、2010年には核DNA全てを解読するに至った。人類が探し続けていた失われし記憶の書が、一冊の本として甦ったのである。

我々の中に生きるネアンデルタール人

解析されたゲノムからわかったこと、それは全く別の種である絶滅したヒト属の生物”ネアンデルタール人”のDNAが、我々現生人類の中で今も生き続けているという驚くべきという事実であった。

なんと現代人の欧州系からアジア系では全ゲノムの約2%がネアンデルタール由来であることがわかった。総体では20%ものゲノムがネアンデルタール人からもたらされていたのである。

私たちアジア人はデニソワ人のDNAも持っていることがわかり、メラネシア系ではなんと6%にもなる。アジアにもメラネシアにもネアンデルタール人やデニソワ人の考古学的証拠は全く無いにも関わらずである。

アフリカ系にはネアンデルタール人由来ゲノムが少ないことから、ネアンデルタール人と現生人類がアフリカで分岐した際に、ネアンデルタール人の方が先にアフリカを出て、長い年月をかけて寒冷地など様々な土地に適応していたことが分かる(アフリカ系のネアンデルタール由来ゲノムは、最近従来考えられていたよりは多いと分かった。これは現生人類が後にアフリカを出て外部のネアンデルタール人と交雑した後に、再びアフリカに帰ったことを示唆している)。

ネアンデルタール人由来のDNAは現代人には見られるが、発掘されたネアンデルタール人からは現生人類由来のものは見られなかった。すなわち、交雑はごく一部でしか行われていないとみられ、ネアンデルタール人は人口減少の一途を辿りやがて絶滅してしまったため、DNAの流入が一方通行に見えている。

我々とネアンデルタール人の出会い。それは一夜限りの邂逅だったのだろうか。はたまたどこかで出会っては、運命的に惹かれ合い、交雑を密かに繰り返してきたのだろうか。

異種の遺伝子がもたらすもの

アフリカを現生人類より早い時期に出たネアンデルタール人は、ユーラシア大陸など寒冷地に適応する肌に関する遺伝子群を我々現生人類にもたらした。

ハーバード・メディカルスクールのサンカララマンらの研究で、ネアンデルタール人由来の皮膚関連の遺伝子「POU2F3」は東アジア人の66%で、体色に関する遺伝子は「BNC2」はヨーロッパ人の70%で見つかっている。

北方地域になればなるほど色白である現代人と同じく、日照量の少ない高緯度地方で体内でビタミンDを生産するため、紫外線をよく吸収する色白の肌は環境に適応しやすいようだ。ライプチヒ大学のホルガー・レンプラーらは、メラニン色素に関わる遺伝子の変異から、少なくとも一部のネアンデルタール人は赤毛で色白であったと推測している。

ネアンデルタール人の病気や健康に関わるゲノム領域が我々現代人に引き継がれていることも明らかになった。動脈硬化などを防ぐ遺伝子バリアントや、新型コロナの重症化リスクを引き起こすもの[1]、反対に新型コロナの重症化リスクを下げるもの[2]も見つかっている。どちらも地域によって分布に偏りがあるが、同一の種からもたらされた因子がここまで真逆の影響を現代人に与えているのは興味深い。またネアンデルタール人のPGR遺伝子を受け継ぐと、妊娠の際に子宮壁が分厚くなり、流産しにくくなることもわかっている。

2008年にペーボ教授らがネアンデルタール人から発語と言語に関わる遺伝子「FOXP2」の変異を発見したことで、複雑な発声が可能な咽頭構造を持っていたことが示唆されている。しかし現生人類のFOXP2にはネアンデルタール人の影響が全くない。交雑の際に遺伝子がなんらかの問題を起こし、自然に排除されたと考えられる。

また現代人のX染色体にも全く影響が見られない。睾丸で活性化する遺伝子が引き継がれなかったということは、交雑でできた子孫には生殖能力に問題があったということになる。これは馬とロバの交配種ラバやライオンとヒョウの交配種レオポンの多くに生殖能力が無いことに似ている。不妊(不稔)でなければ2種の生物はいずれ融合し生物種の数が減ってしまう故に、生殖的不稔性は種の存続に重要な役割を果たしている。

すなわちネアンデルタール人とサピエンスは生殖可能なギリギリの別の種であったということであり、ネアンデルタール人は我々の祖先に限りなく似ているが違う生物であった、という事実である。

我々の祖先が別の種の生物と巡り合い、共に子孫を残せた、そしてその証が私たちの中に確かに生きているという事実は、不思議な感慨を私たちに与えてくれる。

少女の化石が語ること

今や地球上には我々現生人類しかヒト属は存在していないが、ユヴァル・ハラリが「サピエンス全史」で指摘しているように、もしネアンデルタール人やデニソワ人がヒトとして私たちと今も共存していたら、私たちの価値観はどうなっていただろう。政治や宗教や差別や国や戦争は、どんなカタチをしていただろう。

2018年にシベリアのデニソワ洞窟で見つかった少女の化石が、ネアンデルタール人を母に、デニソワ人を父にもつことが分かった。またこのデニソワ人の父には、少なくとも1人はネアンデルタール人の祖先がいたことも明らかになっている。

旧人類の化石は数十体しか発見されていないにも関わらず、直接異種交雑の決定的な証を持った化石を発見できたことは実に奇跡的なことに思われる。

この少女を通して、我々の祖先と種の異なるヒトたちとの邂逅を想う。広いこの地球上で奇跡的に出会った、見た目のよく似た違うヒトびと。注意深くしばし見つめ合い、一歩を踏み出そうと思った時、彼らにはどんな世界が見えていただろう。

古から託された旧人類のDNAという記憶のゆりかごを我々は今受け取ったばかりだ。”我々はどこから来たのか”、この根源的な問いはこれからも新たなる発見へ、研究者達を突き動かしていくに違いない。

参考文献

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[2]Hugo, Z. Svante, P.(2021).A genomic region associated with protection against severe COVID-19 is inherited from Neandertals.PNAS.
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2026309118

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者