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無意識に雑踏を進み、オーケストラの中でモーツァルトを弾くように ―AI未踏?人間にしかできない複雑業務とは―

Digitally generated image of red and blue wires intertwined in the air. The wires form intricate patterns against the light blue background, creating a visually captivating scene that evokes creativity and innovation.

古代エジプトのピラミッド建立にも労働者の勤怠管理表があり、建設のスケジュールや全体像をまとめる役職者がいた。またマヤ文明の神官たちは天体の運行や暦に関する正確な知識に優れ、複雑な情報を統合しながら政治や儀礼の運営を担った。

複雑かつ複合的な情報の調整と統合は現代に至るとシフト調整や時刻表編成などに受け継がれ、究極の職人技によって人力で行われている。しかし近代に入り利用者の爆発的増加によって生じた自動化により、既に消滅した仕事も多い。また昨今の人口減少に伴う人材不足により、そうした職人技の継承者不足に悩む業界がAI導入への舵切りも検討・実践し始めている。

ここでは自動化によって失われた過去の特異な職種、そして現在もAI未踏の情報処理領域に人力で挑む職種に注目し、AIと人間がどのように協同してゆくのか、人間だけが持つ“超”能力とは何か、デカルトの心身二元論に溢れた現代社会まで視点を広げ、今一度考えてみたい。

電話交換手はもういない

完全自動化が行われ、消滅した職業はいくつもある。

代表的な仕事が「電話交換手」だろう。

電話交換手とは国内電話の普及初期に1960年代頃まで存在した職種である。初期の電話は受話器をあげて電話をかけようとすると交換手のいる電話局にまず繋がる仕組みになっていた。その様子はスタジオジブリの「となりのトトロ」で登場人物のさつきが父の大学の研究室に電話をかけるシーンなどで今も見ることができる。電話をかけると交換手に繋がり番号を伝える、一度切り、電話局で依頼どおりに交換手が動くと再び電話がかかってくる。

回線は物理的にケーブルを抜き差しする必要があり、交換手は電話を受けると光るパネルの場所を探し、プラグを発呼者と着信者側それぞれに繋いだ。複雑な回線交換業務をプラグの抜き差しという原始的な手法で全て手作業でやっていたのは驚異的である。

以下に当時の交換手の驚異的な仕事ぶりを見ることができる。

[Bell Telephone Switchboard Operators] (1940/1950 ?)

Hello operator! Ladies work the telephone swtichboard (archive) – Daily Mail

大正大学 地域構想研究所 主任研究員 中島ゆき氏の研究レポート「統計データからみる① 国勢調査から消えた『平成の職業』」では、技術の近代化・自動化と共に国税調査の職業欄から削除された職業を更に紹介している。

PCの台頭によって完全に失われた仕事のひとつに「タイピスト」と「ワードプロセッサ操作員」というものがある。ワープロからPCの転換期まで、ワープロ入力をするためだけの職業が存在したのだ。速記学校やタイピスト学校などもあり、専門職に従事する人員を育成していた。平成14年にシャープが最後のワープロ専用機の生産を終了すると、この世から職業として完全に消えた。

またかつて証券取引所に存在していた「場立ち人」という職業も国税調査から消えている。昔の取引所の映像を見ると、手サインという取引所専門の合図を出し取引が行われており、活発に手を動かす人々の活気に圧倒される。この仕事も平成11年に立ち会場自体が廃止され、全ての売買がインターネットトレーディングによって完全自動化されたことで失われた。

その他には、今や窓口にいかなくても全てがインターネットバンキングなどで済むようになった銀行や保険業界に、かつては「預貯金集金人」や「保険料集金人」といった専門職も存在していた。今でもダスキンの掃除道具配送・現金集金など、一部業界で手作業の集金業務が残っているが、こうした対面集金人も自動化によって消え去った職業だろう。

鉄道を遅らせないのは誰か

Traveling by airplane. Man walking with backpack and suitcase walking through airport terminal and looking at departure information.

現代の職種には、いまだに完全自動化できていないものも幾多ある。

その代表的な職業が鉄道ダイヤ編成者だ。

ダイヤグラムはイギリス人技術者のウォルター・フィンチ・ページ(1843‐1929年)によって日本に広められたと言われるが、1890年代になってようやく、技術を習得した日本人がダイヤを作成するようになったと言われるほど複雑な専門業務であった。

ダイヤの構成は各鉄道会社の運輸部輸送課の担当であり、通称「スジ屋」と呼ばれる専門職が存在する。ダイヤを縦軸が駅、横軸が時間の手書きの線で表す中で、より複雑な線=筋を引く職人技に由来する。その作成には路線ごとの輸送需要や車両の速度、運用効率、乗務員の数などが加味される。通常はコンピューター上で組むが、ダイヤ改正の原案作りや事故復旧時は巻物のように長い紙に実際に線を引く。小さな画面よりも紙の方が全体を一目で把握でき、変更点の比較もしやすいという。

スジ屋が特別視されるのは、コンピューターでの支援でカバーしきれない、彼らの光る技があってこそダイヤが完成するという部分にある。

複数路線の数秒単位のすれ違いを、経験と直感で調整し、清掃や従業員、他社他部署との兼ね合いを全て盛り込み調整、データ化できない部分も視認し盛り込んで調整を行ってゆく。

たとえば遅延が発生しやすい列車がある時、遅延の理由がダイヤから読み取れない場合は現場に出向いて原因を調べる。

現場では想定されていた乗降客数に誤差があり乗降に時間がかかっていたり、乗り換え時間が想定より少し短かったりと、必ず原因となる数値化すら難しい事象があるという。目視と鋭い解析力を駆使し原因を掴み、ダイヤを作成し直して、問題の解消に努めてゆく。

更に昨今は経路検索アプリを使う人が増え、昔より定時性が求められている。ダイヤ編成の追求に終わりはない。

東海道新幹線ダイヤ改正 静岡県利便性向上へ ダイヤ改正を担うのが通称「スジ屋」と呼ばれる男 その職人技をのぞく

そのほかにも、このAI全盛時代に未だ人間の手で行われている複雑な調整業務は幾多もある。

ライブイベント・結婚式などの進行調整や、舞台監督なども代表的な人間による調整業務だろう。照明、音響、舞台装置、俳優の動線などを、秒単位で手配する必要があり、また突発的トラブル時に「何を切り替えるか/どうするか」の判断は現場の勘と経験によってのみ実行できる複雑なタスクだ。

医療従事者のシフト調整も、夜勤が複雑に絡まりあう編成シフトの仕事として特に難しい業務だろう。病院では医師・看護師・患者・手術室が絡みより複雑なうえに、シフト調整者は「あの人は夜勤2連続だと翌日機嫌が悪い」など、データ化不能な知識を蓄え活用している。それは人間にしかない、他者の雰囲気や性格、体調や気分を感じ取りシフト調整に組み込む力、まさにスーパーパワーと言える。

あの人の心は数値化できない

Seeking solutions in the maze-shaped human brain, 3D - Computer generated image

こうした仕事の自動化の難しさには共通点があり、リソース(人・物・場)の同時管理が必要な複雑業務であることが挙げられる。

変数があまりに多く、定式化しにくいことはAIが手を付けられない大きな理由のひとつだ。
鉄道やシフトのスケジューリングでは、例えば突き詰めれば保守作業の職員のスキル、土地勘、乗降する乗客のスピード感、近隣のイベントや天候といった繊細なファクターが絡み合うが、これらを一挙にデータとして取得することは難しい。 暗黙知による判断が技として継承され、ベテランダイヤ設計者は多くをを肌で理解している。また台風・地震・故障などの非常時にどの列車を止めるか・通すのかを即決するには、即時の状況把握と柔軟対応力が求められ、この業務を遂行できるのは現状人間のみだ。

また労働者間の利害調整が機械にはできないという部分がある。

様々な仕事上で複数の部署や多種多様な働き方の従事者が絡んでおり、「誰がどこまで譲れるか」という心理的な駆け引きを人間がしている。不満が出ないよう落としどころをみつけるためには、労働者たちや部署ごとにどのような雰囲気をもって現状のシフトなどを受け入れているかなどの観察が必要になる。
機械では“うまい落とし所”を見つけられず、シフトの公平性や勤務希望の「感情的な配慮」は数値化しにくい。「ギリギリ許される無理」「現場の空気」といった経験知を機械は現状持てないのである。これは今後労働者とAIがチャットなどで日々の状態や心のうちを話し合うようなシステムが運用され、そこからネガティブなセンチメントなどを計測することでデータ化は可能かもしれないが、今後の発展は未知数だ。

またカフェテリアやレストランなどの繁忙時のオペレーションでは、美意識と優先度のバランス感覚という力も使われている。提供作業の中で、どこをどれくらいきれいに整えるか、どこを荒く仕上げても妥協するかは非常に人間らしい肌感で決めている。

こうした感覚的な“うまくいくこと”は、ひいてはオーケストラが演奏する時の指揮を感じながら強弱や感情や調和を探る殆ど無意識の域に高められた感覚にも近いし、渋谷のスクランブル交差点を無意識のうちに誰にもぶつからないように歩けることにも近い。AIにはまだ真似できない、人間特有の力だ。

AIによって乗り越える未来

Data cubes connection, abstract technology background. Digitally generated image. 3d render.

では、どんな業界が今AIによる調整力を欲しているかと言えば、やはり複雑な要素が絡み合う上に慢性的な人員不足に悩み、調整業務を行う人員の属人化と技の継承の難しさに悩まされているような分野だろう。

ロジスティック業界の人材不足が叫ばれて久しいが、トラック運転手のシフト作成にも問題が山積みであり、AIの積極的な導入が今期待されている。

同じく慢性的な人手不足で路線やダイヤ縮小の流れがある路線バス事業にも、AIでの調整は有効だろう。

AIによる支援が進むことで人員不足に悩む業界の人員配置最適化、最適ルート選択による輸送時間の短縮、荷積み最適化による人員不足のカバーなど、更に働きやすさが向上することは間違いない。

ただし人員自体が減少しているという根本解決には至っておらず、貨物輸送のみに特化したレールトンネル型の輸送路実現計画や、自動無人運転、はたまた外国人労働者の労働人口拡大など、別途抜本的な改革が求められ続けている。

人間特有の技術として紹介したスジ屋の仕事にもAI化の波はある。

近年は相互乗り入れ、列車の種類、本数などが更に複雑化しているが、ベテランダイヤ作成者は減少し、経験の浅い若手への技術の継承が各社で課題となっている。

そんな中、NECはトラブルが起きた際に最適なダイヤを短時間で作るAIを開発、実際のダイヤを使っての検証も実施し、実用化を目指している。JR西日本も企業と共同で開発に取り組み、災害などで鉄道の運転に遅れが生じたとき、ダイヤ復旧に活用する予定だ。完璧を求め続けるダイヤ編成にAIという強力な助っ人が入れば、より強固なトランスポーテーションの安定供給を目指すことができるだろう。

AIを畏れることなく、人間の力を倍増させるような共創の仕方ができれば、どんな不可能も可能になる時代はすぐそばに来ている。

サッカーのボールを追うように、馬に軽やかに乗るように

Aerial view of crowd connected by lines

前章で触れた人間特有の「スーパーパワー」について、『ディスポジション:配置としての世界ー哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』の中で、関西学院大学神学部准教授 柳澤田実氏はサッカーのプレイや馬と騎手の関係を例に挙げ、デカルトの心身二元論と対置する概念を示している。

ルネ・デカルトによる心身二元論は、身体は物体であり自動的に作動し続ける機械であるが、心は「考えるもの」であり、「私」の本質をなすものとして、心を超越的に捉える。この概念が人間の在り方として一般的に捉えられて久しいが、この考え方はまさしく人が何故AIによるシンギュラリティを恐れるかという根幹でもある。それは「私」をなす心が、社会的にAIに取って変わられることへの恐怖である。

柳澤氏は心身二元論と真逆の身体感覚についてこう記している。

たとえばサッカーのプレイにおいては、複数のプレーヤーたちが『うまく』ボールを運ぶときに、ボールの移動は全体としてうねりをなす。このうねりは、ボールをまわす時の、個々のプレーヤーのある程度の『気』遣いによって実現している、ボールへの接触の強弱は、ある程度の『気』遣いによって調整されなくてはならない。 ー略ー この調整を実現している配慮とは何だろう? ー略ー こうした配慮とも呼べないような配慮、『気』遣いは、おそらく理性的な判断や意識に還元されるものではない

こうした「うまくいくこと」を目指す時の自分以外の他者との配置や距離や関係の関わりの「程度」は完全に数値化できるものではないと柳澤氏は記す。

これは前章で述べた自動化できない職種の多くに共通している。多くのファクターが複雑に絡み合うなかで、殆ど数値化できない人と人の間、人の周りの気のようなものまで感じ取り、どうすればうまくいくか無意識のうち選択し続けている。

人がより合理的に生きるのに有効であるが故に心身二元論が採用され続け、それを助長し続ける資本主義社会の中で、AIという知性機能の究極的合理化が進む。
これからうまく人間がAIと共存し共に活躍してゆくには、改めて私たちの身体と心の在り方も見つめなおし、世界自体を捉えなおす必要があるのかもしれない。

シリコンバレーでは皮肉なことにAIを利用するためのGPU価格高騰により、AIを開発してきたプログラマーたち自身が人件費よりGPU費用の捻出をというポリシーのもと大量にレイオフされている。

インテリジェンスジョブがAIに置き換えられつつある現在において、こうした脳をフルキャパシティで使う「調整業務」が人間にしかできないということに、非常に重要な示唆が含まれている。人と人の間を取り持つ、調和を実現する大切な仕事なのだ。

参考文献

「ディスポジション:配置としての世界―哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて」柳澤田実 編、現代企画室、2008年

ー統計データからみる①ー国勢調査から消えた「平成の職業」
大正大学 地域構想研究所 主任研究員 、中島 ゆき
https:// chikouken.org/report/report_cat01/8795/

人力に頼ってきた鉄道の復旧ダイヤ作成を自動化、実現が難しかった理由は?
日経クロステック
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01672/080100064/?P=2

鉄道の復旧ダイヤをわずか数分で作成、AIで「スジ屋」の勘と経験を実現
日経クロステック
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/08238/

NHK
驚異の過密ダイヤを守るJRの心臓部――初公開「東京総合指令室」の秘密に迫る
YAHOO!ニュースオリジナル
https://news.yahoo.co.jp/feature/1363/

鉄道に生きるーPeople in JR西日本ー
JR西日本
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/14_vol_152/rail/index.html

プロの”スジ屋”が教える「ダイヤ教室」のリアル感
東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/507573?page=4

鉄道ダイヤ作る「スジ屋」AIが継承? 各社が本腰
産経新聞
https://www.sankei.com/article/20230916-25ONJ7QLFBKGVNUXP4WD5SFTVQ/

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者

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