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公共の価値が揺らぐ社会で。バス業界における人手不足と、その構造的課題

目次
日本全国でバス運転者の人手不足が深刻化している。
とくに地方都市や過疎地では運転者の確保が困難となり、バス路線の維持自体が限界を迎えつつある。もともとバスは鉄道網の届かない地域を細かくカバーし、高齢者や学生の移動を支える重要な交通手段であり、地域社会にとって不可欠な存在だった。
そうした日常の移動インフラが、いま大きく揺らいでいる。
バス運転者がいなくなる時
バス運転者の不足は、いまや日本の交通インフラを根本から揺るがす深刻な問題となっている。国土交通省の統計によれば、2020年代以降、バス運転者に関する有効求人倍率は平均2倍を超え、全職業平均の1.20倍を大きく上回っている。これは1人の求職者に対して2件以上の求人があることを意味し、業界の慢性的な人手不足を浮き彫りにしている。
影響は各地に及び、通勤・通学路線の減便や廃止、スクールバスの運休も起きている。高齢者の生活を支えていた地域路線の縮小も相次ぎ、交通弱者の自由が失われつつある。観光業も例外ではなく、訪日外国人の回復が進むなか、観光バス不足が受け入れ態勢に影を落としている。京都市内の市バスはトランクを抱えた観光客で混雑し、地元住民の利用は困難な状況だ。
人材が集まらない主因は、過酷な労働環境にある。早朝・深夜のシフト勤務に長時間運転、休憩やトイレの確保もままならず、事故リスクや乗客対応のストレスも大きい。こうした環境が若年層の志望を遠ざけていると言われている。
給与水準の低さも深刻だ。都市部でも月給は25万円前後、地方では20万円未満も珍しくない。責任の重さに対して処遇が見合わず、他業種への流出が止まらない。大型二種免許の取得にも時間と費用がかかり、参入障壁となっている。
結果として、運転者の高齢化が進行し、50歳を超えるドライバーが多数を占める事業者もある。新規人材が入らなければ、業界の持続性が危うくなるのは時間の問題だ。
この構造的な人材不足は、欧米でも深刻化している。アメリカではコロナ禍後の経済回復で公共交通機関の人手不足が顕在化し、都市部のバス路線は運行本数の大幅削減を余儀なくされた。学校バスの運転者不足も深刻で、登下校に数時間の遅れが生じる地域もある。
背景には、据え置かれた賃金、感染リスク、乗客とのトラブルによる心理的負荷などがある。職務の厳しさに対して社会的評価が追いつかず、他業種へと人が流れていった。
ヨーロッパも例外ではない。国際道路輸送連盟(IRU)によれば、2023年のバスおよび長距離バス運転者不足は前年比54%増。2028年までにその数は倍増する見通しだ。とくに若年層の参入障壁が問題で、多くの国では21〜24歳の年齢制限があり、「school-to-wheel(学校からハンドルまで)」の空白が人材確保を阻んでいる。さらに、ドイツでは免許取得に平均9,000ユーロ(約140万円)を要し、同国の最低月収の4倍以上にのぼる。
バス運転者不足は、単なる労働力の問題ではない。公共交通という生活インフラ全体の持続性が問われている。各国共通の課題として、待遇改善と新たな人材育成の戦略が急がれる。
Omnibus – 全ての人のために走る車
バスの起源は17世紀のヨーロッパにさかのぼる。1662年、フランスでスケジュールに沿ってパリ市内を走る馬車システムが開発され、世界初の公共交通路線が誕生した。ニーズが伴わず普及しなかったが、その後の発展の礎となった。最初に「バス」という概念が登場したのは1820年代のフランス・ナントであり、1826年にはパリで定期運行が始まった。馬に引かれる客車を定路線で運行する「オムニバス(omnibus)」が、現在のバスの原型となった。ラテン語の「全ての人のために(omnibus)」に由来するこの言葉は、それまでの個別輸送とは異なる、大衆のための公共交通を象徴する存在だった。
イギリスでも1830年代にはロンドン市内で同様のオムニバスが普及し、馬車鉄道の発展とあわせて都市の交通網が拡張されていく。19世紀後半には蒸気機関や内燃機関の技術革新により、自走式のバスが登場し、20世紀初頭にはドイツのダイムラー社やイギリスのレイランド社などがガソリンエンジン搭載のバス車両を開発。交通革命の一翼を担う存在としての地位を確立した。
アメリカでは20世紀初頭に都市化とともにバス輸送が拡大した。ニューヨークやシカゴでは、鉄道や路面電車と並ぶ通勤手段としてバス路線が整備され、1920年代には郊外と都市中心部を結ぶ都市間バスも登場する。これらの動きは、大衆の移動を効率化する手段として、バスが次第に公共財としての役割を担っていく過程を物語っている。
日本におけるバスの導入は、明治時代中期にまでさかのぼる。1903年(明治36年)、京都市で運行が始まった「二井商会」が日本初の営業用バスとされている。当初はガソリンエンジンを搭載した外国製の車両を輸入し、市内の決まったルートを走行する方式がとられた。馬車鉄道が主流だった都市部に、新しい交通手段として登場したバスは、当初こそ珍しがられたが、機動性と利便性の高さから急速に受け入れられていった。
1910年代には東京、大阪、神戸、名古屋などの主要都市でも民間によるバス営業が相次ぎ、1920年代には全国各地に広がっていく。地方都市や農村部でも、鉄道網が整っていない地域においてバスが代替交通として機能するようになり、日本のバス産業の基盤が築かれた。
1930年代に入ると、自治体による直営のバス運行も始まる。とくに戦後の復興期には、公共交通の中核としてバスが重視され、全国の自治体が都市交通整備の一環としてバス路線を展開。1950年代から60年代にかけては高度経済成長とともに、通勤通学の需要が急増し、都市部では鉄道との接続交通としての役割、地方では生活路線としての役割がそれぞれ拡大した。
こうしてバスは、日本社会において鉄道と並ぶ公共交通の柱として定着していった。単なる移動手段にとどまらず、近代都市が発展する上で不可欠な社会インフラであり、公共という価値の象徴でも在り続けてきた。その成立と進化の背景を理解することは、現在直面している人手不足や交通再編の課題を考える上でも欠かせない視点となるだろう。
テクノロジーで今できること
こうした危機に対し、国や企業はさまざまな対策に乗り出している。国土交通省は「バス運転者確保対策事業」として免許取得支援や労働条件の改善指導を進め、定年延長や65歳以上の再雇用を後押ししている。
地域の移動手段を再構築する動きも進み、デマンドバスやMaaS(Mobility as a Service)といった新たな交通モデルが導入されつつある。外国人運転者の採用も、将来的な選択肢として一部で検討が始まっている。技術面ではAIと自動運転の導入に注目が集まっている。
広島県ではJR西日本とソフトバンクが共同で、西条駅と広島大学の間を結ぶルートにおいて、レベル2の自動運転バスを公道上で実証運行している。センサーやLiDARにより環境を認識し、安全確認のためにセーフティドライバーが搭乗する形式で、実用化に向けた重要なステップとなっている。
茨城県の境町では、鉄道のない地域において往復6 ~8kmのルートで自動運転バスの運行を行い、全走行距離の約73%を自動走行が占めている。北海道上士幌町では、無人運転車両にAIを搭載した「AI車掌」が乗車し、乗客対応を行うことで安心感の向上に取り組んでいる。東京都内でも、運転士が待機しながらAI制御によって走行する実証実験が進められており、都市型の運用に向けた可能性が模索されている。
AIは運転そのものだけでなく、運行管理の分野でも活用が期待されている。運転手の複雑なシフト管理や、需要予測に基づいてバスダイヤをリアルタイムで調整し、運行の効率化を図る技術が実用段階に入っている。自動運転バスの完全な実用化には、安全性の確保や法制度の整備など多くの課題が残されており、現時点ではこうしたAIによる既存の人手不足を軽減する領域での活用が現実的な対策となるだろう。
世界各国でも、日本と同様に自動運転やAI技術の活用が模索されている。アメリカでは一部の都市で、オンデマンド型シャトルバスの実証運行が始まっており、利用者の需要に応じてルートを自動調整するシステムが導入されている。ドイツでもAIを活用した運行管理システムが都市部を中心に整備されつつあり、運行ダイヤの最適化や遅延の予測に応用されている。イギリスでは、ロンドン市内で限定区域におけるレベル4の自動運転バスのテスト運行が実施されており、将来的な商用化が視野に入っている。
一方で、自動運転の社会実装には法整備や安全確保の課題が立ちはだかり、すぐに人手不足を解決する万能薬にはなり得ないという点でも、日本と同様である。
運転者の仕事を持続可能な職業として成立させるためには、給与や労働環境といった基本条件の見直しと、公共交通そのものの価値を社会全体で再評価する必要があるだろう。
公共交通が当たり前でない未来に
世界各地で進行するバス運転者不足の波は、公共交通がもはや「当然にあるもの」ではない現実を突きつけている。移動の自由と都市・地域の活力を守るために、どの国も今、共通の問いに直面している。
今後、都市部と地方で交通ニーズと供給体制の格差が一層拡大する可能性が高まるなか、持続可能な地域交通を維持するには、民間と行政の協調だけでなく、住民自身の理解と利用協力も求められる。バス業界の人手不足は、単なる業界内の問題ではなく、地域社会全体の在り方を問う構造的課題なのだ。
この危機にどう向き合い、どのように地域の足を守っていくかが、今後の日本社会における重要な論点となる。
参考文献
「バスの歴史」日本バス協会https://www.bus.or.jp/business/history/
To address worker shortage, MBTA to hire new bus drivers to full‑time positions, Boston Globe.
https://www.bostonglobe.com/2023/05/25/metro/address-worker-shortage-mbta-hire-new-bus-drivers-full-time-positions/Schools are cutting bus service for children. Parents are turning to ride‑hailing apps」(AP News
https://apnews.com/article/3fdcedfc4f957f748bf109066806bc88?utm_source=chatgpt.comSchool bus routes overhauled as driver shortages persist」(Axios, 2023‑01‑11
https://www.axios.com/local/columbus/2023/01/11/school-bus-routes-overhaul-driver-shortages?utm_source=chatgpt.comEurope’s bus and coach driver shortage widens 54%, grim outlook to 2028, IRU
https://www.iru.org/news-resources/newsroom/europes-bus-and-coach-driver-shortage-widens-54-grim-outlook-2028
JR西日本とソフトバンクの
「自動運転・隊列走行BRT」開発プロジェクト、
専用テストコースでの実証実験を完了し
公道での実証実験を開始
、Softbankプレスリリース
https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2023/20230915_01/?utm_source=chatgpt.com自治体として初めて、茨城県境町が 自動運転バスの定常運行を開始〜11月26日から生活路線バスとして無料で利用可能〜
、株式会社マクニカプレスリリース
https://www.macnica.co.jp/en/business/maas/news/2020/135359/?utm_source=chatgpt.com北海道上士幌町で走行する“自動運転バス”に自治体初※1となる「AI車掌」を導入
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000083668.html
“How AI is helping to prevent three buses turning up at once”(BBC News,
https://www.bbc.com/news/business-67993056?utm_source=chatgpt.com“Driverless level 4 shuttles begin feeding public transport in Germany’s Rhein‑Main region”(Sustainable Bus)
https://www .sustainable-bus.com/its/driverless-level-4-shuttles-begin-feeding-public-transport-in-germanys-rhein-main-region/?utm_source=chatgpt.com“World’s first full‑size, self‑driving public bus service”(Future Timeline,
https://www.futuretimeline.net/blog/2023/04/4-level-4-autonomous-bus-scotland.htm?utm_source=chatgpt.com

伊藤 甘露
ライター
人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者