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現代のビジネスパーソンが知っておきたい、文化としての「剣道」3つの魅力

日本の伝統文化の一つである剣道。部活動や学校の授業などで、剣道に触れたことがある方もいるのではないだろうか。剣道は武士の生活の中から生まれた日本独特の文化(※1)で、歴史とともに育まれてきた「日本らしさ」が多く詰まっている。剣道の精神に魅力を感じ、海外でも競技者が増え、ヨーロッパだけでも有段者は2万人にものぼる。

単にスポーツ競技としてではなく、文化としての「剣道」の魅力は、現代のビジネスパーソンであれば教養として知っておきたいところ。そこで、海外剣士たちの意見も踏まえた上で、剣道の魅力について紹介する。

心を豊かにする礼儀作法が身に付く


「姿勢を良くしたい」「自分の心を強くしたい」「子どもの頃から憧れていたが機会がなかった」などの理由から、大人になって剣道を始める人は少なくない。子どもの場合は、「礼儀作法を身につけさせたい」「心と身体を強くしたい」「集中力を身に付けさせたい」など、保護者の方が希望して始めるケースが多い。

日本でスポーツをする場合、武道に限らず礼儀作法はとても重視される。しかし、特に剣道をはじめとした武道は「礼」をさらに重視しているように感じる。「礼」はもともと「禮」と書き、「豊かさを示す」といった意味がある。心の豊かさ、つまり思いやりを形にしたものが「礼」なのだ。

例えば、剣道にはガッツポーズをすると一本取り消しになるルールがあり、これは敗者への配慮が根底にある。また、道場(体育館)に入る時、出る時、稽古前の全体で礼をし、稽古中にも相手に礼をする。

ちなみに、相手に礼をするときに「お願いします」は、英語に訳さずそのまま使う。初心者の外国人の方に「お願いしますの意味は?」と聞かれたことがあるが、適切な英訳が思い浮かばず、「日本人が大切にしている言葉で、お相手へリスペクトを示した言葉」と説明した。

こういった場面に遭遇すると、日常で当たり前の「礼」が、実は日本人の気質を強く反映していると実感する。

神聖な「道場」で「今このとき」に集中する


剣道の道場は仏教の「道場」に由来する。多くの道場には神棚(神道)が設置されており、これは明治32年以降の慣習だ。道場は神聖な場所であると考えられているため、道場に入る際は礼をしなければならない。神に恥じぬよう、正々堂々、美しい気持ちで修行に励むことを誓うのだ。

また、竹刀の5つの節と袴の5本のひだには儒教の五徳の意味が込められていて、「仁・義・礼・智・信」の五つの徳を表現している。仁は「人を思いやる心」、義は「なすべきことをする正義の心」、礼は「仁を行動にしたもの」、智は「知識豊富なこと」、信は「信じる心」だ。

このように、剣道は仏教、神道、儒教と関わりがあり、日本の歴史とともに、宗教の影響も強く受けてきたことがうかがえる。

稽古の最初と最後には正座をして「黙想」をする。これは1〜2分程度の時間に印を組んで、呼吸と心を整えるためのもので、瞑想に近い時間でもある。スポーツをしているとき多くの場合は「今このとき」に集中しているが、開始前に黙想をすることでその効果がさらに高まる。場所が神聖な道場であればなおさらだ。

剣道は防具をつけて動くため汗もたくさんかき、さらに大きな声で「気合い」を出すため、稽古後はスッキリして日常に戻れるという声もよく聞く。

勝ち負けより「人間形成」を重視


剣道を通じて、武士の思想を知ることができる点も魅力の一つだ。
全日本剣道連盟は、剣道普及の在り方について下記のように言及している。

剣道の普及とは、単に剣道人口を増加させたり、試合を数多く開催することではありません。正しい普及とは、日常の稽古や試合という競技の剣道を通じて、武士の精神を多くの人々に伝えることです。単なる競技として広めることではないのです。

 このような観点から、剣道を学ぶ世界中の皆さんにお伝えしたいことが一つあります。それは、剣道の厳しい稽古を通じて、剣の技を学ぶだけではなく、武士の生活態度やそれを裏付ける武士の精神(心構え)も学んで頂きたいということです。

「武士道」という言葉が初めて登場したのは『甲陽軍鑑(1577年以降に記されたと言われている)』で、500年ほどの歴史がある。しかし、武士道の概念は、実は時代によって少しずつ異なるのだ。

現代の剣道は「人間形成」を掲げ、勝ち負けよりも剣道の修行を通して立派な人間になることに重きを置いている。自分の心を鍛えるために大人になってから剣道を始める人もいれば、その精神性に憧れる海外剣士も少なくない。

刀は武士の魂、そして剣道における竹刀は刀だ。日本の刀剣は芸術品としても評価が高く、海外に住む日本愛好家の方々は部屋にコレクションとして飾っていることもある。戦闘技術が芸術にまで昇華した事例は、世界にも類を見ないそうだ。

刀剣は「三種の神器」の一つで、古来から日本人にとって神に捧げる神聖なものだった。このため、ただ戦いの道具として使うだけではなく、美しさも大切にされてきたのだろう。

ヨーロッパでテニスの試合を観戦した際に、選手が新品のラケットを叩き割っていたシーンを目撃し、とても驚いた経験がある。剣道においては、竹刀をまたぐことや粗暴に扱うことは絶対に許されない。

剣道を知ることは、日本の魅力を再発見すること


五徳を大事にする心や、物を神聖なものとして大切にする姿勢、場を清める気持ちなど、日本人であれば剣道が包含する思想や武士道には共感するところが多いはずだ。

仕事は古来、「神に仕える作業」として神聖なものと考えられてきた。このため、仕事道具も仕事場も神聖なもので、神に仕えるものとして相応しいよう、大切にされてきた。どことなく、剣道の思想と似ている部分がある。

このように、文化としての剣道を知ることは「日本」について改めて考え、振り返ることにつながる。そして、今こうした文化が世界で評価されている点も見逃せない。例えば、ハンガリーでは戦争後に国を立て直す際に教育に武道を取り入れようという試みもなされた。

外国人剣士たちの方が、剣道や武士道の歴史に詳しく、所作や礼法が正確なケースもある。それだけ文化に興味を持って、しっかりと学んでくれているということだ。

最後に、剣道における「稽古」は「古(いにしえ)」を「稽える(かんがえる)」と書く。時代に応じて新たなことを貪欲に学びながらも、昔から大切にされてきたことを学ぶ重要性も感じられる言葉ではないだろうか。

参考文献

※1:全日本剣道連盟『全剣連の見解』

WRITING BY

佐藤 まり子

ライター

IT企業や楽天株式会社を経て独立、Web構築やマーケティング業務に従事。2017年からはオランダに移住しオランダ企業の取材など記事執筆を開始。剣道歴20年、現在五段。