TECHNOLOGY

“人知を超えた将棋AI“ 将棋界に学ぶ人とAIの共存の未来

将棋界だけでなく、社会がその一挙手一投足に熱い視線を注ぐ藤井聡太五冠。AIの使い手とも知られ、その姿からは人類とAIが共存する未来の姿が見えてくる。

AIを超えた?藤井聡太五冠の「神の手」

2020年3月、藤井聡太二冠(当時)が将棋界を騒然とさせた。

その日、解説の藤森哲也五段がAIに発した「まず何をしているかわからない。」「人類に思い浮かびますかねこの手」という言葉に、ABEMA視聴者は釘付けになり騒然となった。

竜王戦2組ランキング戦の準決勝、松尾歩八段の56手目を受け画面上に表示される将棋AI「SHOGIAI」の最善手が、プロ棋士でも理解できないような一手だった。

プロ棋士から見れば藤井二冠が飛車で飛車を取る手一択のみと読む局面に、AIはあえて銀を捨てる手が最善手であると示したのだ。衝撃的かつAIの人知を超えた強さを目の当たりにさせられる光景だった。

しかし解説の藤森五段は、飛車をすぐに取らずに長考に入った藤井二冠の気配を”不気味”と表現し、まさかの出来事が起こりうるのではと固唾を飲む。

「これ神の一手でしょう」
「大注目ですね、これ打ったら…これは信じられないけどなぁ、化け物の一手だけど」

そしてそれは起こった。
藤井二冠が指したのはAIの示した最善手だった。

その後松尾八段もすぐに手を返した為、松尾八段にも藤井二冠がAIの読み筋を指す局面が見えていたのは間違いない。更に解説の藤森五段は、AIの形勢判断を示す評価値がずっと松尾八段に振れていたとして、藤井二冠の読みがAIの読みを上回り、まさしく「AIを超えた」と表現した。

棋士の流行最前線、ディープラーニングAI

2022年2月の渡辺明二冠との王将戦でも藤井五冠は、局面の評価の精度が高く、少ない局面数の読みで非常に強いという特徴があると言われている「ディープラーニング(以下DL)系AI」の最善手に近い常識を超えた手を指し、将棋界に衝撃を与え続けている。

DL系将棋AI「PAL」の開発者山口祐氏は、PALの最善手とプロ棋士の指し手を比較したところ、全棋士でAIに1番近い手を指しているのも藤井五冠であると指摘している。

藤井五冠は、CPUだけで50万円はくだらない「自作PC」を棋譜分析の為に使用していると公言しており、その強さの一端は明らかに最新型DL系AIでの棋譜研究によると言えよう。2021年には渡辺明二冠も将棋AI「水匠」開発者杉村達也氏の推薦でDL系AIを導入するなど、多くの棋士が将棋AI研究を精力的に取り込んでいる。

もはやAIと将棋界は、切っても切り離せない関係性になった。ここで改めて、棋士たちがどのようにAIと葛藤し苦闘し向き合ってきたか、注目したい。

人類の敗北という衝撃 将棋AIの歴史

将棋AIは、1967年に日立製作所が同社の5020Eに詰将棋を解かせたのが始まりだ。その後、1975年に早稲田大学のチームによって世界初の指将棋のコンピューターシステムを開発。しかし、当時の指し将棋システムは序盤を過ぎると荒唐無稽な手を乱発する精度で、到底プロ棋士に追いつけるようなものではなかった。

80年代に入ると将棋ソフトゲームが市場に出回り始めるが、非常に弱かった。それゆえ当時の棋士たちは、AIが人間に勝つなどSF小説のような夢物語だと思っていた。ところが1997年、チェス界で衝撃的な事件が起きた。IBMのチェス専用スパコン「Deep Blue」が当時世界最強チェスプレイヤーだったガルリ・ガスパロフを打ち負かしたのだ。

そしてついに2005年、将棋界にも驚くべきソフトが現れた。インターネット上で無料公開された「Bonannza」である。物理化学者の保木邦仁が趣味として開発したもので、2006年の第16回世界コンピューター将棋選手権で初出場初優勝を飾り注目を集めた。また保木自身は殆ど将棋を知らないことも話題になった。

公開直後から非公式にインターネット上で勝負するプロ棋士が現れ、しかも渡辺明二冠が当時のブログで「プロ棋士が平手で餌食になった」と記し、大注目を集めるようになった。

更に、2009年にソースコードが公開されたことで、将棋AIは恐るべき飛躍を遂げることになる。2010年に「あから2010」対清水市代女流王将(当時)の公式対決が実現し、清水女流王将が負けるという衝撃的な結果に終わった。また2012年からAIとプロ棋士が公式対戦する「電王戦」が始まると、A級棋士が次々と負け、第2回電王戦では3敗を喫するなど将棋界に悲壮感が漂った。

一方で、プロ棋士たちのAIに対する見方も大きく変化した。2014年、第3回電王戦では初めてソフトの事前貸し出しが行われ、ここまで強いのであればAIを道具として使うという発想が広がった。特に、第3回唯一の勝者となった豊島将之七段(当時)が、棋士たちとの研究会を去りAIによる独自の研究へとシフトしたことは、将棋界に大きな変化をもたらした。

2016〜17年には、初のタイトルホルダー対AIの対決が実現。佐藤天彦名人(当時)が2連敗を喫したことで、「人類に将棋で勝つAIを開発する」という目標は現実のものとなり、コンピューターと人間の対戦の歴史は幕を閉じた。

人間にできて、AIにできないこととは?

将棋とAIでよく議論になるのが、「AIが人間を超えたのなら、人間同士の将棋に存在意義はあるのか」という問いである。
コンピューター同士の対局は、これが見るだけで非常に面白い。プロ棋士が見ても唸るような思いもよらない手がぶつかり合い、新しい棋譜が次々と生まれている。

将棋界のレジェンドと呼ばれ、永世七冠の資格を持つ羽生善治九段は、著書『人間の未来 AIの未来』(株式会社国宝社)で「人間同士の対局をより魅力的なものにして、AI対局以上の価値をつくり出し続けていけるかが問われている」と語る。

そのためにはAIとどう向き合うべきか。

AIには決定までのプロセスがブラックボックスであるという特徴がある。特にDL系は学習プロセスを追うことが不可能であり、最善手は示されるが、それが何故最善手なのかはAIは答えてくれない。人間は論理的な生物であるが故に、「何故」というプロセスを知ることにある種の充足感を得る。そこで最善手の論理的解明こそが、AIにはできず、人間である棋士にしかできないことではないだろうか。

また人間は、プロセスを納得することなく結果を受け入れることが難しい傾向を持っている。羽生九段は同じく著書の中で、「医療の現場でAIを使っていくときに、患者さんに『どうしてこの治療法をするんですか』と聞かれて、『理由はわかりませんが、確率的に高いからです」という説明だけで命を預けてもらうことができるでしょうか」と問いかける。

同じく将棋棋士も人間であり、それを大衆娯楽として享受する側である視聴者もまた人間だ。我々が将棋解説無しでは100年に一手などと評される指し手を楽しめないのと同じで、人間によるプロセス解明を除いては将棋は成り立たない。AI同士の対局が面白いのも、同じく人間がその「神の手」を解読しようと躍起になる情熱に裏打ちされている。

将棋より早くAIが人間を越えたオセロでは、中森弘樹オセロ六段がAIとの関係性について、ソフトはオセロの面白さを失わせたが、同時に人類のオセロレベルを飛躍的に向上させた、最善手という真理を人間が追求する時代から、AIの知能を資源として用いる時代へ移り変わった、と指摘している。

今、将棋も同じ途上にいる。
人間とAIの共存は、人類をどこまで高めるだろうか。

参考文献

保木邦仁・渡辺明共著「ボナンザ VS 勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか」角川書店、2007年
「将棋年鑑 平成8年版」日本将棋連盟、1996年
山中伸弥・羽生善治共著「人間の未来 AIの未来」株式会社国宝社、2018年
長岡裕也「羽生善治×AI」株式会社宝島社、2019年
藤井二冠「神の手」は将棋AIの歴史にも名を刻んだ ANN NEWS 2020年
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/ann_000211195.html
最新AI技術も貪欲に活用 藤井五冠、強さの原動力―将棋 JIJI.COM 2022年
https://www.jiji.com/sp/article?k=2022021200531&g=soc
渡辺明名人、1秒間に8000万手読むコンピュータを購入しディープラーニング系のソフトも導入(1) 松本博文 2021年
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20210816-00253492
藤井聡太を最強にした「ディープラーニング」ソフト パソコンまで自作 デイリー新潮 2021年
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/09121056/?all=1
渡辺明ブログ「ボナンザとか。」 渡辺明 2005年
https://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/0ec4e61968eb148e2b7059a83f953ea0
電王戦公式統一パソコン「GALLERIA電王戦」豊島将之七段インタビュー – 成否の境界線 コンピュータの感覚を精査する マイナビニュース 2014年
https://news.mynavi.jp/kikaku/20141107-a001/
オセロ界はソフトといかに向き合ってきたか 中森弘樹 2016年:https://kyoto-academeia.sakura.ne.jp/blog/?p=6392

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者