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深淵なる化粧と人間の関係。美に仕え続けた歴史を紐解く

日々繰り返される動作のひとつに、“化粧”がある。

毎朝の動作として、その生涯に取り入れている人が多数を占める。素の自分と外の自分を断ち開く境界線のように口紅をひいて、ドアを開け出かける日々。ドラッグストアに、日用品として薬とともに化粧品が並ぶ。産業としての規模も、人間が存在し続ける限り失われない動作であれば、この先も盤石な発展を遂げてゆくだろう。

詩人ボードレールは、『現代生活の画家』の中に「化粧礼賛」という文を書いた。

「化粧というものは、自らを隠し立てすることも、見破られまいとすることも要らない。それどころか、これ見よがしにではないまでも、すくなくとも一種の無邪気さをもって、自らを誇示してよいのだ」

自然こそ美という中世の価値観に異を唱え、化粧が神格化への手だてであるとし、その美を無邪気にみせびらかすことのみずみずしさを讃えている。

自らを神格化せしめるその稀有な行為がいつ生まれ、現代に産業となって立ち現れたのか、そのブリーフヒストリーを探ってみよう。

始まりはネアンデルタール人から

化粧の始まりは未だ推測ではあるが、20万年前のネアンデルタール人にまで遡るという。
装飾品の痕跡や、壁画に赤い顔料を使用しており、身体装飾をしていただろうということが2018年のサイエンス論文「U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art」にも言及されている。

古代の人々にとって、化粧にどんな意義があったかは伺い知れないが、一般的な部族での化粧や身体装飾は、儀式において変身することで精霊や神的存在の加護を求めて超自然的な力と一体化することを目指すと解釈されている。

仮面もそのうちのひとつで、神や精霊になりきることを目的としている。

さて文明が生まれる頃になると、はっきりと化粧の存在が確認できるのはやはり古代エジプトである。ネフェルティティの胸像は目の周りが黒く縁どられている。アイライナーに使われていた「コール」は鉛を主成分とし、毒性があるが水分と混ざると抗菌作用を発揮したため眼病予防として用いられた。また太陽光をやわらげる実用的効果があったとされている。この化粧法は、野球選手のアイブラックとして現代でも使われている。ツタンカーメン王のマスクも目の周りは黒いアイラインで縁どられており、更にカツラや整えられた髭も確認できる。男性も化粧や身だしなみを整えていたことは明らかである。

古代ローマでは白い粉を肌に塗り、頬や唇に紅をさすようになった。色白の肌が美しさの基準であり、美容法としてロバの乳で顔を洗うなど、様々な手法が生まれた。
中世ヨーロッパでは、一部の特権階級の中で化粧文化が発展していった。女性は古代ローマに続き青白い顔が美しいとされ、極端な場合は瀉血をして人為的に貧血になり青白さを追求したという。

埴輪の入れ墨と三日月の眉

日本では、3世紀に書かれた『魏志倭人伝』に最初の化粧の記録がある。邪馬台国の風俗について、お歯黒、紅、入れ墨に言及されている。埴輪にも顔が朱色に塗られたり、入れ墨がほどこされたものも発掘されていることから、同様の化粧装飾が行われていたと考えられる。

『古事記』『日本書紀』『万葉集』では、三日月のような細長い眉を美人と描写しており風流で興味深い。

平安時代には、白粉、お歯黒、頬紅、眉化粧が発達した。『枕草子』にも言及があるように、成人すると自眉を毛抜きで抜いて額に眉を書き上げるという風習が登場した。

江戸時代には、同じく白粉、お歯黒などが行われていた。黒はほかの何色にも染まらないため、貞節の証と考えられていたようである。それまで上流階級のみだったが、一般女性も結婚して子どもができると眉をそり落とすようになった。

日本の近代化粧文化の夜明けとなる明治時代は、大きな変化の渦の中で押し寄せる新しい文化を、女性たちが思考錯誤しながら常にキャッチしていった時代だった。

イギリス駐日総領事オルコックの『大君の都』に、「彼女たちの口は、まるで口を開けた墓穴のようだ」という描写があるが、日本風俗批評の中で常にお歯黒と剃り眉は大変な悪評であった。西欧近代化を目指していた政府は、明治3年には華族に対してお歯黒剃り眉の停止を命ずる。そして明治6年に皇后がやめたことをきっかけに、完全に衰退していった。

化粧品の中で比較的早い時期に開発製造されたものに石鹸がある。幕末から明治にかけて研究され、明治5年に京都府舎密局が製造を開始した。その後コールドクリームや、化粧水などが明治30年代までに登場し、現在まで販売されているピンクのボトルが特徴的なオイデルミンは、資生堂から明治30年に販売開始されたものである。

白粉に含まれる鉛の有毒性が注目されだすと、徐々に肉色白粉などが西欧から輸入されて一般に用いられるようになった。また西欧の香水文化も親しまれ、日本製の香水も生まれるようになってゆく。もともと「爪紅」としてホウセンカなどで爪を染める美容法は明治以前から行われていたが、マニキュアが入ってくるや一気に流行した。口元を彩る紅も、舶来品の繰り出し式のものが出回り始めた。

大正時代に入ると、明治期には重んじられなかった頬紅が流行し、大正後半にはコンパクト型の頬紅が登場した。

そして昭和に入ると、断髪したモガが街を闊歩するようになり、化粧はより自由に、女性たちの手によって表現されるようになっていった。

「美を好む心は、人間の本能であるのですから」
大正から昭和初期の美容家・早見君子のこの言葉は、化粧と美を貪欲に開拓していく明治から昭和までの女性たちを如実に表している。

化粧は消費されるものへ

現在も存続している日本の化粧品メーカーで最古の企業は「柳屋本店」だろう。元和元年から400年以上続いている。その他にも資生堂は明治5年、カネボウと花王が明治20年と、化粧品業界は驚くべき長きに渡り美を提供し続けている老舗尽くしなのである。

明治期から昭和初期まで、前項のような女性の流行に合わせて、西欧から技術を模しては製品化し続けてきた各社は、戦後70年代に入るとテレビとコマーシャル戦略を利用し、より一般社会へ販売訴求を大々的に行い、化粧は産業として飛躍的に発達した。

80年代も引き続きテレビによるマス広告は続いており、1987年の高広告宣伝費トップ10社というランキングには花王と資生堂がランクインしている。また高価格ラインを各社が打ち出し、より効果があるもので綺麗になりたいという顧客ニーズに応える動きが広まったが、バブル崩壊によりコストパフォーマンスを重視する低価格志向が一般化したため、化粧品業界もその流れに乗ることになった。

2000年代もアイコニックな女優や歌手モデルを器用した広告戦略が話題となり、新発売の度に大きなブームを巻き起こす化粧品も少なくなかった。

2010年以降はネット販売が一般化し、各社も専用ECサイトを運用し、対面販売以外の販路を見出した。より多くの消費者へ商品を届けられることから、産業全体の消費者数を底上げしたに違いない。

プチプラドラッグストアコスメから、現在も高級ラインが人気なデパコス、クリスマスコフレなどギフト戦略や、中国市場での販路拡大、韓国や中国の化粧品メーカーの勃興など、よりビジュアル重視になったSNSが発展した現代では、化粧と消費行動、文化は更に密接な繋がりを持つようになっている。またアイドルの流行により、男性もメイクをすることが若年層で一般化してきている。

フィフスエレメントメイクガジェット

これからの化粧を考える時、いつも一番に思い浮かぶのは映画「フィフスエレメント」でリールーが使用している、目に当てるだけで一瞬でアイメイクが終わるシャネルの化粧ガジェット。まさに近未来のアイコニックな化粧像であるが、業界全体で追随するような新しい技術が次々と生まれている。

化粧品業界では、昨今AI導入も進んでいる。

大手ではBtoB事業への参入や海外展開を図るなか、既存の社内システムでは実現できなかった、精度の高い需要予測・在庫管理をAIで実現する企業が増えている。BtoB商材の需要予測や、通販・店舗の在庫補充、在庫管理をAIでより精密に行い、将来的には現場のデータから新商品の予測も行える。
またどの化粧品メーカーのサイトにも、Webで美容相談ができるAIチャットボットも備えられており、顧客がより深い情報に自在にコネクトできる。

理想的な化粧品をAIによって調合する近未来的な製品も多く発表されている。資生堂の「Optune」は、AIが自分の肌のコンディションに合わせて最適な美容液の配合を行ってくれる。アプリから登録し、実際に手元のマシンが配合を行う。
YSLの「ルージュ シュール ムジュール​」は、アプリで似合わせした色を自在にマシーンが調合し、最大 4,000通りのカラーが自由自在につくれると話題になった。

より発展したテクノロジーでは、最早SNSと切り離せないカメラフィルターという存在がある。最早自在な化粧のみならず、美容整形並みに理想的な顔をリアルタイムに映し出すことができる。
Tiktokにはオンタイムで著名人と自分の顔をスワップできる通称”芸能人になれるエフェクト”までできた。AI生成エフェクトで、その精巧さは驚くべきものであり、誰でも理想の美女になれる。もはや自分とは何かという哲学的な問いに立ち返るような、衝撃的な化粧装飾の発展を垣間見た。

化粧をするほど、裸になる

化粧は楽しい。化粧品は煌めき、買い集めることにも快楽を感じる。鏡に映る自分に化粧を施す時、太古の部族の化粧のようにそれは私たちを強くさせ、また自分が表現したいアイデンティティを紅や眉を引きながら模索する、そんな行為にも思える。

ヴィヴィアン佐藤氏は化粧についてこう語っている。

「お化粧をすればするほどどんどん裸になっていく、そぎ落としていくという考え方です。最終的にはもう全裸になってしまって、もっと突き進むと、自分の皮膚を完全に裏返しにするような、そのような露出することがお化粧だと思っております。着飾ることも同じで、(中略) 内面にある精神性や気持ち、そういったものがほんの少しだけせり出したことが着飾ることなのかなと思ってます。なので着飾ることもお化粧することもどんどん裸になっていくことだと思っております」

自分を表現し裸になってゆくことが化粧であるならば、その普遍性は未来永劫変わらず化粧が形を変えながら存続してゆくことを想起させる。それは『攻殻機動隊』の「電脳」のような世界が到来したとしても、バーチャルかつスピリチュアルな形で、連綿と続いてゆくだろう。

参考文献

ボードレール著「ボードレール全集IV」、株式会社筑摩書房、1987年
原島博・馬場悠男・輿水大和監修「ビジュアル 顔の大研究」丸善出版株式会社、2020年
ポーラ文化研究所編「ー化粧文化シリーズー化粧史文献資料年表」1984年
ポーラ文化研究所編「ー化粧文化シリーズーモダン化粧史 粧いの80年」1986年
化粧は自分を裸にし、失われた本能を取り戻す行為 – ヴィヴィアン佐藤〔PR〕
幻冬舎plus編集部
https://www.gentosha.jp/article/22797/
化粧品業界について解説!歴史や現状、今後求められる方向性は?
iDA Magazine
https://ida-mode.com/contents/post-1061/
D.L.Hoffman,”U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art”,SCIENCE,23 Feb 2018,Vol 359, Issue 6378,pp. 912-915

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者