WORK

労働時間の人類史 ーヒトがエデンの園を出てからー

 

我々人類は、その最初期から、生きるために獲物を狩り、子を育てる、という“労働”をしていた。現代に至るまで、“労働”は殆どの人々に未だついて回る生きる術であり、私たちは学校を卒業すれば人生のおおよその時間を労働に費やしていることになる。

今社会では8時間労働が基本になっているが、実はそうなったのは人類史の中ではつい最近のことである。一日16時間の労働が一般的だった時代があることはご存知だろうか。またその反対に、一日4時間程度の労働で皆が暮らしていた時代もある。そう、労働は普遍のルールの下に稼働していると思い込んでいるが、時代とともにその形は移り変わっているのだ。

働くということそのものが、どのような価値観の下で偏移してきたのか。古代から近代の労働や、古くから行われていたシフト制勤務など、労働時間と労働の価値観という身近な尺度を追って、人類の身体の動きに思いを馳せてみよう。

本当の幸せを実現するには、どんな働き方が最適なのか、「私たちという人生」の在り方を見つめなおす尺度になれば幸いである。

縄文人は3時間しか働かない

三内丸山遺跡周辺に再現された縄文集落

まずは、身近な古代人の労働について考えてみよう。最近の研究では、縄文の人々の労働時間は驚くほど短かったと推察されている。

太古の暮らしを正確にうかがい知ることは非常に難しいが、考古学者小山修三は縄文の人口シミュレーションや縄文人の家族が年間に必要などんぐりやクリやシカなど食料の総量を予想し、文化人類学者の岡田宏明はエネルギーの産出量と生産効率という観点から、縄文人に相当する狩猟採集民の労働時間を産出している。それによれば、計算上縄文人は年間805時間、1日あたり2時間強働けば十分食べていけると分かっている。そしてその2〜3時間以外は、祭祀や儀礼という精神文化に費やしていたと言われている。

再現された縄文土器と当時の食糧

紀元前1万年前から紀元前3世紀頃まで、日本には縄文土器を作って暮らした文化が根付いていた。縄文の人々は弥生人のような稲作を行っておらず、必要なものを必要な時に狩る暮らしを送っていた。縄文時代の代表的な遺跡、三内丸山では、780軒にも及ぶ住居が連なっていたと推定されているが、そこまで大規模な集落の様相を持ちながら権力によるヒエラルキーや国家による統治を目指した痕跡は無い。

狩猟採集民から灌漑農民、そして現代へ、生産効率があがるほど、人間は忙しく働き余暇が無くなってゆく。縄文人はあえて「足るを知る」ことを選び、自然の中で権力構造の無い平等な暮らしを送っていたことが伺える。

岡田宏明は著書『文化と環境 エスキモーとインディアン』の中で、「欲求を満足させることが『豊かさ』の指標だとすると、たえず新しい欲求をつくりだし、慢性的な不満に陥っている文明社会よりも、限られた欲求を容易に満足させることが出来た石器時代の方が『豊かな社会』だったかもしれない」と指摘している。

象に乗るハンター、マディヤプラデーシュ州ビンベトカ洞窟

働くことは卑しきことなり

プラトンのアカデメイアに集う生徒たち

さてその頃、西欧文明、特に古代ギリシャでは、労働はしないほうが良いという価値観が一般的であった。

働かずに知的探求に勤しむことが上級市民の美徳であり、労働は奴隷など下級市民のする事と定義されていた。古代エジプトでも、ピラミッドなどの建設労働は市民が担っていた。ただし出土した石板には労働者の勤怠管理表まで存在し、その欠勤理由も「ビールを作っていたから」「妻の出血(つまりは妻の生理)」など、介護休暇のようなものも取得されていたと分かっている。働き方自体は、現代より緩く、恵まれたものだったのかもしれない。

古代ギリシャの労働観を受け継いだ古代ローマは、労働のために奴隷を多く有していた。その多くは戦争捕虜などである。彼らは実は非常に高価で、奴隷を1人購入するのに家族4人が2年食べられるような金額を支払わなければならなかったとされている。

それゆえに奴隷とはいえど丁重に扱われ、奴隷が家族を持てばそれだけ労働力も増えるため、良い待遇が与えられていたという。オーナーのもとで雇用契約を結び使われるというのは、まるで現代のサラリーマンのようだという禁断の例えが浮かんでしまうが、奴隷は10年ほどで放免され解放奴隷になれる場合もあったため労働のモチベーションを保ちやすく、もはやサラリーマンよりも待遇が良いようにも思えるのは皮肉なことである。

主人のために働くローマ時代の奴隷たち

キリスト教が台頭すると、働くことは卑しいことと再定義されるようになった。旧約聖書ではアダムとイヴは無労働の楽園に暮らしていたが、知恵の実を口にしてしまい、神から

「地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る 」(創世記2-17)

と言い渡される。これが生きるための永遠の労働の根源であり、労働は神の意に反したための『労苦』であると考えられた。

楽園を追放されるアダムとイヴ

しかしプロテスタント革命が起こり、それに異議が唱えられた。プロテスタントでは聖書にある「隣人愛」に基づいた他者への良いサービスや商品提供のための勤労は美徳とされ、労働に対する価値観が大きく変化した。資本主義の萌芽が生まれ、プロテスタントを主流としたイギリスやオランダでは経済が高度に発展していった。

しかし、勤労といっても15世紀ヨーロッパの一般的な農民の労働時間は、夜明けから日の入りまでではあったが非常に断続的で、合間に昼寝や食事休憩3回、軽食休憩2回まで挟むなどと記録されており、今とは比べ物にならないほど短かった。

農民たち

人間が地獄の労働商品になる

機械制大工業の始まり

18世紀半ばイギリスが産業革命に入ると、手工業から工場制機械工業へ移り変わり、産業の急激な発展と共に労働者の雇用も急務になった。

それまで熟練した職人が家内工業で持っていた手工的技巧は、機械制大工業の中でバラバラの生産過程に分散され、労働者はその一部のみに携わり続け、生産過程の全体は習得できないという、”機械に対して従属的な性質”を与えられることになった。

これは1927年の映画『メトロポリス』で主人公が、時計のような謎の機械に針を合わせ続ける仕事を、用途も意味も分からないまま、絶望感を覚えるほど長時間させられるという、象徴的なシーンに表されている。

これにより賃金に対する労働者の価値が下がり、資本家の中では”安い単価で長時間働かせるほうが利益率が高い”という悪魔のセオリーが浸透し、地獄労働の時代が始まった。

カール・マルクスの著書『資本論』の中で、当時ロンドンでドレスの裁縫をする仕事に雇われていた女性が過労死したニュースを取り上げている。

「女工たちは一日平均16時間半、だが社交シーズンともなれば30時間休みなく働いた」(資本論269p)

メアリー・アン・ウォークリーという女工は、社交季節のピーク時に26時間半休みなく働かせられ、狭い部屋に30人、更にひとつのベッドに2人寝かせられ、ついに過労死してしまったのである。

工場勤務の女性たち

産業革命時の平均労働時間は10~16時間とされ、眠る時間すらまともに与えられないまさに地獄の様相であった。また非道な児童労働が一般化しており、大人より安く雇え長く働き抵抗するリスクの低い児童は労働市場でよりニーズが高かった。

これはイギリスのみならず、アメリカでは葉巻生産に関わる労働が1881年のデータで平均17〜18時間労働、日本でも明治維新後紡績や製糸に従事した貧農の女性たちが1日14時間ほどの長時間労働を強いられていたことが分かっている。

カメラレンズ工場、若年層の労働者も確認できる

長く苦しい労働地獄の中で、労働者たちによる抵抗運動が巻き起こるのは至極当然だっただろう。

まず女性の労働時間を10時間とする「10時間法」の推進が行われ、その後8時間労働を求める運動がオーストラリアで起こり、ヨーロッパ、アメリカに伝播していった。ここで初めて、労働8時間、自由時間8時間、睡眠8時間という現代労働の基礎が生まれたのである。

江戸城番方は眠らない

皇居城門

労働の中で、特殊でありながら長い歴史があるのが、夜勤や宿直を含む「シフト制勤務」である。紀元4世紀後半の帝政ローマ時代には消防の役割を担う職業夜警が既に存在し、城門の守衛職など、警備の名目で夜間勤務をする人々は古くからいた。

ビクトリア朝時代の夜間警備

江戸城には番方という警備職があった。当然警備は24時間体制であり、三交代制シフトで仕事を回していたという。朝番は五つに出勤、夕番は四つに出勤、寝番は宿直になり、夕七つすなわち午後四時に出勤していた。

その後産業革命を経て工場制工業が盛んになると、機械を止めて再起動するのに大きな時間とコストがかかる製鉄工場や、単純に夜通し生産すれば生産効率が3倍になることから様々な製造業が夜勤を含めた24時間稼働シフト制を取り入れた。他にも病院、警察、警備、インフラ、早朝から深夜まで営業する施設、運送業、海運業、24時間営業コンビニなどで採用され、その働き方も一般化していった。

製鉄所は眠らない

現代は更に多くの職業がアルバイト雇用契約と共にシフト制を取り入れている。膨大な数の従業員を有する上で決まった時間に決まった人が働く訳ではない場合の人材調整は、過去類を見ない複雑さを呈するようになったと言える。

街も眠らない

ジャガノートの車輪から逃れるには

土曜日は勤務日だった

つい最近まで、日本は週6日労働制だったことは、徐々に忘れ去られつつある。

社会が土日休みの週休2日制実現に向けて動き出した時、その大きな動機は「家族と過ごす時間を持つ」ことであったという。戦中の「国のために自らを捧げる」メンタリティーから、「個々人の充足の実現」という価値観に社会がシフトしていった時代だったのだろう。より良い労働環境を求めることは、自らの幸せを追い求めることに他ならない。

労働者の幸せを最適化して捻出する

昨今雇用を管理する側には、労働者の希望を複雑に汲み、最適なシフト組みを実現することが求められている。労働者は働きやすい職場をもとめているため、希望時間通りの配置、それぞれのスキルや経験まで配慮した人員構成など、労働者それぞれの個人生活の幸せの追求をバックアップする必要がある。AIを導入したシフト最適化に取り組み始めている企業も、徐々に現れつつある。

インドのヒンドゥー教祭礼。祭りの山車の車輪に身を投げれば、極楽に辿り着ける文化があると、ヨーロッパに伝聞された。

マルクスは『資本論』の中で、労働者を、インドの祭り”ジャガノートの山車”の車輪に身を投げ出す人々に例えた。大車輪は”資本主義”であり、現代でもその例えは古くならない。労働は未だ苦役であることも多い。しかしヨーロッパ各国では、労働時間短縮や週休3日制の議論も進んでいる。そのどれかが実現する日はそう遠くないだろう。

我々が労働で幸せになることを諦めなければ、巨大な車輪に飛び込み続ける日に、いつか終わりがくるかもしれない。

参照資料

小山修三著「縄文学への道」日本放送出版協会 、1996
岡田宏明著「文化と環境―エスキモーとインディアン 北大選書〈1〉」 北海道大学図書刊行会、1979年
尾登雄平著「激動のビジネストレンドを俯瞰する『働き方改革』の人類史」株式会社イースト・プレス、2022年
竹内啓編「東京大学教養講座11〜機械と人間〜」東京大学出版会、1985年
ジェーン・ハンフリーズ著「イギリス産業革命期の子どもと労働」法政大学出版局、2022年
中西聡編「経済社会の歴史〜生活からの経済史入門〜」名古屋大学出版会、2017年
カール・マルクス著フリードリヒ・エンゲルス編「資本論1」岩波文庫、1969年
縄文文化論の理論的基盤の整理 ― M.サーリンズ『石器時代の経済学』再読 ―、瀬口眞司
https://www.shiga-bunkazai.jp/wp-content/uploads/site-archives/download-kiyou-27_seguchi.pdf
For 95 Percent of Human History, People Worked 15 Hours a Week. Could We Do It Again? 、Inc.
https://www.inc.com/jessica-stillman/for-95-percent-of-human-history-people-worked-15-hours-a-week-could-we-do-it-again.html
The Overworked American: The Unexpected Decline of Leisure 、 Juliet B. Schor
https://groups.csail.mit.edu/mac/users/rauch/worktime/hours_workweek.html
ギリス労働運動における産業革命(その1)、清山卓郎
https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4362536/2704_p057.pdf
帝政期都市ローマにおける消防活動と社会的地位 ー消防隊とウィクスー 、本間俊行
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/37474/1/10_1-17.pdf
労働と余暇― 新たな均衡を求めて―、
ペーター・パウル・ミュラー=シュミット、 山田秀訳
https://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se23/23-07yamada.pdf
江戸時代に始まる勤怠管理システムの歴史、フリーウェイタイムレコーダー
https://freeway-timerecorder.com/blog/view/98

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者