CULTURE

知っておきたい、「ワイン」と「人類」の交錯史

 

人々の生活を豊かにする酒。中でも最も歴史が古いとされるワインは、今なお世界中に愛されている。
ワインのたたえる独特の品格は、どのように生まれてきたのか。人との関わりを軸に、ワインの歴史を明らかにする。

偶然と必然のワイン

「ギルガメシュ叙事詩」大洪水

ワインの歴史は、はるか数千年前にまで遡るといわれる。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方のジョージアで、紀元前6000年の遺跡から葡萄の種子や陶器が発見され、2023年時点で最古のワイン醸造痕跡と考えられている。古代文明の成立から間もなくして、人類はワインを造ってきた可能性が高いのだ。

古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』には、王ギルガメッシュが大洪水に備えて方舟を作っていた船大工たちにワインを振る舞ったとあり、当時この地に住む人々がワインを飲んでいたことを明らかにしている。西アジアで始まったワイン造りは、その後エジプト、さらには世界に広がっていく。

酒は偶然の産物であるかのように語られることが多いが、ワインが人々の生活に根付くためには人為的な必然があった。確かに、葡萄の果汁が自然に発酵してワインになることもあるが、発酵が進みすぎると酢になってしまい、酒としての効用はなくなってしまう。しかも、野生の葡萄は雌雄異株のため、雌株か雄株のどちらか一方でも欠けていれば育たない。

突然変異した雌雄同体株の葡萄を見つけて栽培し、その果汁を酒として飲める程度に発酵させる。知能を有する人類の存在があったからこそ、現代にまでワインは生き残ることになったのだ。

狂気と知性のワイン

メソポタミアで生まれ、エジプトで育まれたワインは、古代ギリシアにおいて大きく花開く。庶民層へのワイン浸透に大きな役割を果たしたのは、ギリシア神話における豊穣とブドウ酒と酩酊の神、ディオニュソスだ。

ゼウスとセメレの間の私生児として生を受けたディオニュソスは、正妻へーラーの嫉妬から逃れるべくアジアで育ち、各地を放浪する。この中でディオニュソスは葡萄の木を発見し、その栽培を各地で広めたとされている。酔いの喜びを与えるディオニュソスは、庶民にとっても親しみやすく、着実に支持を獲得していった。

一方で、ディオニュソスの遍歴は、数々の激情と狂乱にまみれていた。そしてディオニュソスに対する庶民の信仰も、狂気と結びついていたのである。代表的なものは、ディオニュソスの秘儀と呼ばれる、女性や奴隷たちによる祭礼だ。

女性たちは冬、ディオニュソスの巡礼としてデルフォイの神殿を目指し、夜には奥のパルナソス山に登った。その山で彼女たちが行ったのは、病的なまでの狂喜乱舞。背負った皮袋からワインを飲み尽くし、出会った獣を殺して生肉を食す。酩酊の中、集団でひたすら踊り狂っていたという。当時社会的身分が低く、男性の奴隷的な地位しかなかった女性たちにとって、ディオニュソスの祭礼は唯一精神を解放する場として機能していたのかもしれない。

ギリシア神話の光をアポロンとするならば、ディオニュソスは闇だった。理知により秩序立てられた世界を象徴するアポロンに対し、人間の内奥に潜む激情や狂乱、混沌を映し出すのがディオニュソス。ワインは人を、ギリシア神話における裏の顔、狂気と結びつけさせたのだ。

しかし、大衆の文化や生活のレベルが向上し、古代ギリシアの後期になると、新たなワインに対する関わり方が生まれてくる。その担い手が、哲学者をはじめとした知識人層だ。彼らはワインを楽しむだけでなく、ワインの飲み方について議論するようになった。

例えば、医学の父とされるヒポクラテスは、ワインの医学的効用を分析し、多くの治療に用いている。彼によれば、温かいワインを長時間飲むと思考が鈍り、冷やしすぎたワインを飲むと痙攣や悪寒を引き起こすという。

「ワインは理性に何ら害を与えず、快い歓喜の世界に気持ちよくわれらを誘ってくれる」というのは哲学の祖、ソクラテスだ。「ほどほどに飲む」ことを前提としているところまで、現代の考え方に通じている。こういった知識人たちの愛飲を通し、ワインは知的な飲み物としての地位を確立していく。

聖と俗のワイン

ワインの捉えられ方が変わった、最も大きな契機は聖書だろう。中近東のイスラエルで生まれた宗教の書、聖書は数多くワインについて言及している。

旧約聖書と新約聖書で、ワインの描かれ方は大きく異なる。旧約聖書は、ユダヤ人の歴史書であり、民族としての戒律を定めたもので、新約聖書はイエス・キリストの言行録として、その後世界に広がることになる指導書。それぞれの書の持つ性格の違いが、ワインの捉え方にも影響している。

旧約聖書では、ワインはむしろネガティブに描かれているといえる。例えば、神に「正しい人」として認められ、方舟を作って洪水を生き残ったノアは、葡萄を栽培する農夫となったが、ある日葡萄酒で泥酔して裸で眠ってしまった。息子の1人であるハムは父の裸を見てしまい、それを知ったノアはハムの息子カナンを呪い、カナンの子孫がセムとヤペテの子孫の奴隷となると予言する。

また、イスラエルの王ダビデの三男であるアブサロムが、妹を手ごめにした異母兄アムノンを殺害したのは、アムノンが葡萄酒で酔っ払っていた時である。美しく聡明なダニエルは、身を汚すまいとして、バビロン王ネブカドネザルの進める葡萄酒を断ったという。

ワインによる泥酔が、否定的な事象の発端となり、だからこそそれを避けるのがよしとされているように感じられる。

ワインが聖なるものと結びつけて認識されるようになるのは、新約聖書においてだ。例えば、イエスはその中で数々の奇跡を行うことになるが、最初の奇跡にワインが関わっている。イエスがカナの町で立ち寄った婚礼で、水がめに入った水を葡萄酒に変えるのだ(「カナの婚礼」)。

「最後の晩餐」は、後世のワインの地位を確固たるものにした。イエスはパンを「私のからだ」とした上で、葡萄酒を「私の血」として弟子たちに与えた。つまり、ワインを飲むことが、キリストの血を飲み、新しい契約(新約)を受け入れることを意味するようになったのである。

この記述がなければ、その後の世界においてワインが浸透することはなかったかもしれない。酩酊作用という観点から見るのであれば、ワインはその他の酒と同じく、宗教の教えの中で禁じられるのは自然だからだ(実際、イスラームはクルアーンにおいて飲酒を禁じたため、ワイン造りで名を馳せた中東各地で、ワイン文化は衰退していく)。

いわば「俗」の作用も持つワインは、新約聖書で「聖」性を獲得したからこそ、さらなる広まりを見せることになったといえる。

拡大と縮小のワイン

ワインの拡大はキリスト教の拡大と軌を一にしている。西ヨーロッパにおいてワイン文化の担い手となったのは修道院。ワインはキリスト教、特にカトリックの聖餐に欠かせなかったためだ。

収入確保や地位の向上という名目もあった。当時、修道院は旅人たちの宿としても機能しており、彼らにワインを販売することで収入を得ることができたのである。王侯貴族などの実力者と泊めた場合には、ワインの提供により彼らからの庇護も期待できた。

特に、6世紀に聖ベネディクトゥスが立ち上げた修道会の存在は見逃せない。「祈り、働け」という戒律を掲げ、西ヨーロッパ各地に広がったベネディクト派修道院は、キリスト教と共にワイン造りも広めていく。

10世紀初頭には、同派に属するクリュニー修道院がブルゴーニュに誕生し、ワイン生産で得た財政的基盤を元に、封建領主もあてにするほどの強い影響力を持った。さらなる教会改革の担い手として誕生したシトー派修道会は、より上質なワインを生産することに力を注ぎ、ブルゴーニュワインを誕生させる。

キリスト教の宣教と共にワインが広まったのは、ヨーロッパに限らない。南北アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどでは、大航海時代以降、各地に散った宣教師たちなどによってワイン造りが根付いていく。キリスト教といういわば「乗り物」を得、ワインは世界各地を自在に旅していったのである。

一方、大航海時代以降は同時に、ワイン縮小の危機でもあった。紅茶やコーヒー、チョコレートといった嗜好品がヨーロッパにもたらされ、人々の楽しみが多様化したのである。人々が知的な会話を楽しむ場も、ワインを嗜む酒席ではなく、コーヒーハウスやカフェに移っていった。

かつてのように、ワインが唯一無二の地位を自然と享受できる時代は終わった。それでもなお、ワインが生き残り続けているのは、それに魅せられた人々の弛まぬ努力があったからこそだといえる。その魅力はおそらく、誕生から成長、拡大にいたるまで、長い歴史の中で育んできた、あらゆる二面性にこそあるのではないだろうか。

参考文献

・ヒュージョンソン著 小林章夫訳「ワイン物語〈上〉―芳醇な味と香りの世界史」「ワイン物語〈下〉―芳醇な味と香りの世界史」日本放送出版協会 1990年
・ジャン=フランソワ ゴーティエ著 八木尚子訳「ワインの文化史」白水社 1998年
・楠見千鶴子「酒の神ディオニュソス―放浪・秘儀・陶酔」講談社 2003年
・山本博「ワインの歴史―自然の恵みと人間の知恵の歩み」河出書房新社 2010年
・ジャン=ロベール・ピット著 幸田礼雅訳「ワインの世界史ー海を渡ったワインの秘密」原書房 2012年
・吉田敦彦「ギリシア神話の光と影 ―アキレウスとオデュッセウス」青土社 2018年
・内藤博文「世界史を動かしたワイン」青春出版社 2023年

WRITING BY

山田 奈緒美

ライター・編集者

京都大学卒業、同大学院修士課程修了。ジョージアでの日本語教師、書籍編集者、病院経営コンサルタント、Web記事の制作ディレクターを経てフリーランスに。心理、宗教、社会問題に関心を寄せる。