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偉大なる練り物史 〜かまぼこから宇宙食まで〜

Fifty-three Stations of the Tokaido (Hoeido edition) by Utagawa Hiroshige - 1834: #1, Nihonbashi Bridge, Morning Scene

「吾輩」はかまぼこを失敬する

「寒月君は面白そうに口取(くちとり)の蒲鉾(かまぼこ)を箸(はし)で挟(はさ)んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。」
明治38年(1905年)の夏目漱石の小説『吾輩は猫である』には、かまぼこが正月の口取りとして登場する。「吾輩」は噛み跡のあるかまぼこをちょっと失敬して頂戴することにする。
作品中では他にも様々にかまぼこが登場し、「蒲鉾(かまぼこ)が板へ乗って泳いでいます」などと比喩としてユーモアたっぷりに表現されていることから、漱石はよほどかまぼこが好きだったのだろう。

今や殆どの家庭で日常的に食されるかまぼこと多種多様な練り物たち。
魚をすりつぶし、塩を加え、成形して火を通す。この単純でありながら高度な加工技術は、日本だけでなく、アジア各地で非常に古くから行われてきた。「練り物」は、保存と栄養を両立させるために人類が生み出した、最も原始的で、同時に最も洗練された食品技術のひとつである。

1番身近な食材のひとつだからこそ、今改めてその起源や変遷を辿り、この偉大な日本食文化について考えてみようと思う。

人、太古よりつみれを食すなり

Traditional Japanese New Year cuisine. It's called osechi.

練り物の明確な発祥地は不明だが、東南アジアや中国南部の沿岸地域では、古くから魚肉をすりつぶして調理する文化が存在していた。

中国では、魚のすり身を団子状にした「魚丸(魚蛋)」や、福建料理でよく使われる、具材として練り魚を入れる濃厚なスープ「羹(ゲン)」が知られている。紀元前3世紀ごろには、魚丸がすでに食べられていたとされ、魚を保存・加工するための合理的な方法として自然発生的に生まれたと考えられている。

その後中国南部からアジア諸国に広がった練り物文化は、タイのフィッシュボール、インドネシアのバクソなど、各国に根を下ろした。

日本における練り物の歴史は、文献上では平安時代初期にまで遡る。現存する最古の記録とされるのが、平安時代の古文書『類聚雑要抄』(室町時代写本)である。

永久3年(1115年)関白右大臣・藤原忠実が三条へ移転した際の祝賀料理献立が記されており、その宴席を描いた高杯の挿絵の中に、「蒲鉾」の文字と、焼かれた練り物が描かれている。この時代の蒲鉾は、現在の板付きかまぼこではなく、魚のすり身を竹の棒につけて焼いたもので、形状は現在の「ちくわ」に近い。

ただしこれは文献上の最古であり、つみれ類はそれよりも前に存在していた可能性が高い。

室町時代中頃の写本『宗五大草紙』には、次のような記述がある。

「かまぼこはなまず本也。蒲のほをにせたる物なり」

当初の原料はナマズであり、形状がガマ(蒲)の穂(ほ)に似ていたことから「蒲の穂子(がまのほこ)」と呼ばれ、それが転じて「蒲鉾」になったという説が有力とされる。一方で、魚のすり身を竹に付けた姿が「鉾」に似ているという説など、複数の語源説が存在している。
平安時代から室町時代には上流階級の料理として定着し、このころは贅沢品で、庶民が簡単に口にできるものではなかった。

Brown cattail spikes growing wild in wetlands

時代が下り、板に付けた蒲鉾が登場する。
『摂戦実録大全 巻一』(1752年)には、豊臣秀頼が大阪城へ帰城する途中、伏見で料理人・梅春が蒲鉾を作って振る舞ったという逸話が記されている。そこには「板に付けてあぶる」という表現があり、安土桃山時代末期には、すでに板付き蒲鉾が存在していたことが分かる。
なお、1848年刊の『近世事物考』には、

「後に板に付けたるができてより、まぎらわしきにより元のかまぼこは竹輪と名付けたり」

とあり、板付き蒲鉾の登場によって、従来の竹に巻いた蒲鉾が「ちくわ」と呼び分けられるようになったことが示唆されている。

江戸時代に入っても同じくかまぼこは大変なご馳走だったが、江戸後期に入ると練り物が庶民の食文化へと広がっていった。

蒸しかまぼこやはんぺん、しんじょ(真薯)などが発展し、芝居の幕間に食べる幕の内弁当を彩る華やかな存在となり、庶民の楽しみとして親しまれた。また蒸す製法が生まれたことから美しい着色が可能となり、様々な細工かまぼこが作られ、単なる保存食から、職人の技と工夫が凝らされた「ごちそう」へと進化していった。

焼き蒲鉾から蒸し蒲鉾へという大きな転換については『守貞謾稿』(1837年)に、

「江戸にては焼て売ることなく、皆蒸したるのみを売る」

と記され、現在主流となっている蒸しかまぼこが江戸で定着したことが分かる。

「坊ちゃん」は東京の蒲鉾が恋しい

Oden

明治時代においては、明治20年頃1887年頃に既に東京におでん屋台が登場している。また冒頭でも紹介した明治38年(1905年)夏目漱石の『吾輩は猫である』作中で何度も比喩の対象としてかまぼこが現れるほか、同じく夏目漱石作『坊ちゃん』明治39年(1906年) にもまたもや口取りのかまぼこが登場するなど、現代のお節料理にも見られるように、かまぼこは上流階級のハレの日料理として食されていたことが伺われる。坊ちゃんは作中で田舎風のかまぼこが気に入らず文句を垂れているが、漱石はそれほどにかまぼこにこだわりがあったであろうことがうかがえる。

大正12年(1923年)関東大震災をきっかけに、関西の料理人が炊き出しのために関東にこぞって進出し、その時に振る舞われたおでんが更に一般に広まることとなった。
昭和15年(1940年)発表の織田作之助の小説『夫婦善哉』では、主人公・柳吉は関東煮屋(味噌で食べない煮込みおでん)を「うまいもん屋」と表現し、自身も様々な商売を転々とするうちのひとつとして関東煮屋を営むという描写もある。

昭和初期から昭和20年代後半までは、おでんは、屋台やおでんの店や駄菓子屋などで食べるもので、家庭ではあまり作られてこなかった。1962年から連載されていた赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』に登場する、おでん串を持ったチビ太は、0歳のときに「どこからともなくやってきた」という設定があり、身寄りがなかったことから戦争孤児であることを暗に表していると言われているが、そんな彼が食べるものとして描写されるほど、庶民の食べ物としての幅が広がっていたことが分かる。おでんは子どもたちのおやつとしても人気があり、おでん屋が昼間にリアカーで公園などで販売していた。
戦後の経済発展とともに、練り物も惣菜などとして市場などで販売されるようになり、更に汁の素などが一般に販売されはじめると、家庭でもおでんが作られるようになった。

冷蔵・冷凍技術が更に発達すると、練り物は産業食品へと姿を変えた。スケソウダラを原料とした冷凍すり身の大量生産や、地域食だったさつま揚げの全国化、はんぺん、なると巻、カニカマなどの多様化が産業食品としての一般流通を後押しした。

またコンビニエンスストアでおでんが販売されるようになり、核家族化に伴い個食のニーズが増えると、レトルトパックの販売など更に気軽におでんが買えるようになった。
海外では平成16年(2004年)頃から、中国、台湾、シンガポールなどアジア圏のコンビニエンスストアなどでおでんが販売されるようになり、海外でもごぼう巻きやさつま揚げなど練り物を含んだおでん文化が広がっていった。

偉大なるカニカマ

Crab stick on white background

現在、練り物は再び「先端技術の食材」として注目されている。

無添加・高たんぱく食品として再評価され、地域ごとの名物(笹かまぼこ、なると巻、はも皮天など)が観光資源として活用されるなど、その商品の幅は更に広がっている。

特に1960〜70年代に誕生したカニカマは画期的な発明で、世界的大ヒット商品となった。英語圏では「Surimi」として認知され、本物よりヘルシーと謳われ、健康志向の国で爆発的に広がった。もはや日本発の食品だと知られていない国も多い。筋線維の方向性を再現する「繊維化技術」などは海外でも驚きをもって受け止められており、「練り物 × バイオテクノロジー」の代表例とも言える食品だろう。

実は世界で一番カニカマを食べている国はフランスであり、スナックとしての需要拡大が進んでいる。またリトアニアには世界一の生産量を誇るカニカマ工場があり年間約8万トンを生産している。カニカマの主な原材料スケトウダラは、世界一漁獲量が多い白身魚と言われるほどだ。

食品工学・繊維化技術・香料化学を結集したカニカマは、まさに日本の練り物技術を世界に知らしめる存在である。

また山形大工学部が発表した3Dフードプリンターで魚のすり身が用いられている。魚のすり身は粘度があり、形状保持しやすいため 3Dプリンター向きの食材であると言える。プリンターで成形する介護食・病院食にも期待が寄せられており、お年寄りの歯の状態などに合わせて硬さを調整しつつ美味しそうな見た目を表現したり、必要なカロリーや栄養素も調整できる。

3Dプリンター技術には世界中で注目が集まっており、きっかけは2013年にNASAが3Dフードプリンター企業に巨額の助成金を出したことと言われている。確かに魚のすり身で練り物を成形することと同じく、宇宙でも様々な料理が手軽に作れ、素材を粉末にしておけば輸送しやすく宇宙食にももってこいではないだろうか。

また東日本大震災をきっかけに三陸の企業で開発された常温保存できる「旅するかまぼこ」は、宇宙食を目指し、成層圏に打ち上げ味の変化を調査すると言う。JAXAが日本食としてかまぼこを宇宙環境で用いる日が来たなら、それは練り物の新たな時代の幕開けになるだろう。

練り物は、「魚を余すことなく使う」という生活の知恵から始まり、儀礼食、町人文化、工業製品、そしてテクノロジーを用いた最新技術を応用する食品へと姿を変えてきた。
すりつぶす、練る、固める。その行為の連なりの中に、日本とアジアの食文化、そして人類の技術史が、静かに刻まれている。

参考文献

織田 作之助「夫婦善哉」新潮文庫改版、新潮社
、2000年

夏目 漱石
「吾輩は猫である」 角川文庫、KADOKAWA、1962年

夏目漱石
「坊っちゃん」新潮文庫、新潮社、1950年

紀文アカデミー、紀文ペディア「紀文「食」年表」
https://www.kibun.co.jp/knowledge/syoku/chronicle/index.html

紀文アカデミー、おでん教室
「おでんの歴史」
https://www.kibun.co.jp/knowledge/oden/history/rekishi/index.html

紀文アカデミー、おでん教室
「平成・令和 おでんの出来事」
https://www.kibun.co.jp/knowledge/oden/history/heiseireiwa/index.html

GLOBE➕
「食品サンプルではありません 研究室発、3Dプリンターで作る食べられる「すしネタ」」
https://globe.asahi.com/article/14597382

世界のカニカマ事情
「世界でカニカマが驚くほど食べられている?!」
https://www.sugiyo.co.jp/special/world/

紀文アカデミー、練り物教室
「江戸期のかまぼこと幕の内弁当」
https://www.kibun.co.jp/knowledge/neri/history/makunouchi/index.html

紀文アカデミー、練り物教室
「練りものの起源」
https://www.kibun.co.jp/knowledge/neri/history/kigen/index.html

TBS東北放送
「宇宙食目指す「かまぼこ」高度3万メートル成層圏へ 開発のきっかけは避難所「冷たいおにぎりで怒られる子ども」の姿だった」
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tbc/2022008?page=2

赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!!
「赤塚マンガの「どうしてですか?」88+α個!!」
https://www.koredeiinoda.net/dousite88/q014.html

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者

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