CULTURE
【THE FUTURE WITHOUT YOU】AI×アートの最前線とAI生成のシュルレアルさについて

目次
OpenAI最初のアーティスト・イン・レジデンスであるアレクサンダー・レーベンは、AIの出力と人間の入力をあらゆる方法で循環し、実体の大理石彫像を創り上げた。
どこでもないところから立ち上がり“存在”するようになった彫像の佇まいは、人間とAIの思考の循環と発展のひとつの結び目として、とても美しいものだった。
AIによって生成された図像が美術館に仰々しく飾られるようになったのはつい最近のことだ。AIへの注目は日ましに高まりアート界も呼応しようとするが、AIが出力しただけのスクリーンセーバーっぽい「作品」に対し、鑑賞した人々は思ったのではないだろうか。
「これは、アートなのか?」と。
そうした風潮の中、レーベンや、鋭い目線でAIを言語化する映画監督で批評家のヒト・シュタイエル、発掘した過去の写真からAIを描き出すマックス・ピンカーズ&トーマス・ソヴァンなど、AIの概念を的確に捉え、その上を遊び、芸術へと導くアーティストが楔を打つ。彼らの作品や文章を通してはじめて、芸術とAIの関係性と、AIをアートに取り入れることはどう進んでゆくべきか、改めて捉えることができるかもしれない。
本稿ではAIと人間の拮抗を鋭く捉えた写真集『THE FUTURE WITHOUT YOU』と、作者のピンカーズとソヴァンへのインタビューを通し考えたい。またAI生成画像の成り立ちについて哲学的に思索する試みをもって、AIと人間・そして芸術について捉え直してみたい。
あなたのいない未来
2023年に出版された写真集『THE FUTURE WITHOUT YOU』は、ベルギーや各国を拠点として活動する写真家のMax Pinckers と、北京とパリで活動する写真コレクターで編集者の Thomas Sauvinによる作品だ。
iPadの形状を模した写真集は、ソヴァンが北京のリサイクルセンターで見つけた90年代アメリカの「ストックフォト」(商業用フォト。90年代はネガが郵送でやりとりされていた)で構成されており、直接的にAIの出力を経ているわけではない。しかし近年最もAIの本質に肉薄し、AIというテーマをアートに昇華した作品だったと言っても過言ではないだろう。
ピンカーズたちが選んだ写真はどれも90年代当時のオフィス文化や資本主義の滑稽さを強調しながら、そこにパソコンなどテクノロジーが侵入し、やがて人間が代替される未来、という、『ターミネーター』的世界観で構成されている。何重にもひねりをきかせた作品の数々は、他のアーティストの作品とは一線を画しているように感じる。
ストックフォトが最も資本主義に近い商業写真であり、大衆が興味をもつトピックに合わせ意図的に構成された点を鑑みれば、それはある意味で当時の人々のテクノロジーへの畏怖・恐怖を間接的に捉えたものだ。そしてその写真たちは、奇妙に今日のAIと人間の関係性と殆ど同期している。
――最初にこのフィルムを見つけた時のことを簡単にお聞かせください。
ソヴァン:私がこのアーカイブを北京のリサイクルセンターから回収したのは2010年のことです。当時は『Silvermine』(ソヴァンがコレクターとなって集めた写真を編集した、近代の中国における集団記憶に焦点を当てたアーカイブ『Beijing Silvermine』)を構築していて、主に中国の資料を探していました。そのため、この大量の奇妙なアメリカのイメージ群は対象ではなく、手付かずのまま残っていました。それをピンカーズと一緒に取り組むことにしたのは2022年になってからです。
――どのように50000枚の写真の中からテーマを見い出しましたか。
ピンカーズ:ストックフォトコレクションを精査する中で、旅行・産業・医療・スポーツ写真などさまざまなジャンルがありましたが、すぐに最も興味深いのはスタジオで明らかに構成された写真であると気づきました。当時はPhotoshopのような技術ではなく、小道具や素朴なコラージュで作られたものです。
私たちはすぐに、技術的進歩を表す写真に惹かれました。それは振り返れば、ばかばかしくもあり、滑稽でもあり、そして今日に至るまである程度正確でもあったのです。
最初のセクションに登場する誇張しきった演技のモデルたちは、キーボードや書類に比べるととても小さく、おもちゃの人形のようにも見える。
マルクスが資本主義の労働者を「ジャガンナートの車輪に飛び込む者」と表現したが、そういったある種組織の歯車的な存在も想起できるし、「オフィス」という概念の中で奮闘する人々を、やや皮肉かつ可笑しみも込めた視点で見つめている。
写真集の途中でAIによる詩が挿入され始める。
一連の詩は選定したストックフォトをAIに読み込ませ出力させたものだという。
「コラボレーションが始まった2022年当時はOpenAIのChatGPTはまだリリースされていませんでしたが、AIはすでに一般的に使われるようになっていました。私たちの主な関心は、AIが画像を解釈し、それに応答してテキストを生成できるかどうかでした」(ピンカーズ)
初めはimg2poemというまさしく画像を詩に還元するAIソフトで試行錯誤していたが、その後ChatGPTがリリースされより詩作は進んだ。
詩の始まりは、昨今のChatGPTのようなユーザーに媚びるAIを思い起こさせる。それがページを捲るごとに不穏さを増し、終盤には人間という種への葬送の詩へと変化する。
このフォトたちが当時のテクノロジーに対する印象の平均値とすれば、AIを通して現在のデータセットからまた詩として捉え直しをすることで、私たちが今AIに持つ印象の平均値をもある程度要素として含むと考えて良いだろう。
絵から言葉に、言葉から絵に、チャネルが私たちとAIとで切り替わる度に、そこに足されていくものに、AIの本質もある。
作品中盤、詩の不穏さが加速するタイミングで、パソコンのマウスを持つ手がロボットに切り替わる。それはまさしく、テクノロジーの主導権を彼らが握る瞬間を如実に暗示している。
人間とロボットのaugmentationか乗っ取りが進むと、『2001年宇宙の旅』で表されたような宇宙人か赤子のような”スターチャイルド”の姿を見ることができる。こうした表象に代表されるニーチェの超人思想は、第二次世界大戦中キリスト教終末思想と結びつき優性思想に繋がっていったが、現在のアメリカのテックライトたちの中には、優秀な胚を選んで多産を推奨するプロナタリスト(出生奨励主義者)も増えている。種の選別とテクノロジーは資本主義の根幹である超合理化という観点で既に結びついている。
AIが紡ぐ詩は「君がいないほうが未来はよりよくなる」と最後に結ぶが、超合理化を誰も咎めなければ、テスラの工場労働者がAIロボットのオプティマスに置き換わらんとしているように、結局人間がいないほうが良いという、AIの結論に近づいてゆくのかもしれない。
いじわるなAI画像
近年目覚ましいAIの進化と共に、AI生成画像・写真・動画の発展は人間の想像を常に超えている。
今やDALL-E、Midjourney、Stable Diffusionといった画像生成のリアルさは、ネットリテラシーが無ければ判別できないほどだ。
しかしその生成物の歪さ、プラスチックのようななまめかしさ、何かが本質的に違う不気味な表れ方は、それ自体がAI生成のスタイルになってきている。それらは一貫してとてもシュルレアリズム的だ。
1924年、フランスの詩人で評論家のアンドレ・ブルトンは『シュルレアリスム宣言』を発表し、シュルレアリスムという運動と教義を体系化した。「想像の自由」をかかげ、理性と先入観を離れ、人間としての真の機能、すなわち無意識の力を捉え解放しようとした。シュルレアリスムの代表的な芸術家には、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、マックス・エルンストなどがおり、これらの作家は無意識や夢の世界を表現した幻想的な作品で知られている。
なぜAI生成はシュルレアリスム的なのか。ARTNEWSのコラム、”Surrealism in the Age of AI”の中で、 タイラー・デフォーはその関係性について、シュルレアリスムが常に目指してきた「物」と「言葉」のズレに着目している。
デフォーはルネ・マグリットによる1929年の絵画《イメージの裏切り》を例に出す。シュルレアリストたちは長いあいだ「物」とそれを表す「言葉」との関係性に魅了されてきた。この作品のたった2つの要素である一本のパイプの絵と、それに添えられた「これはパイプではない(Ceci n’est pas une pipe)」というキャプション。このマグリットの行為は、私たちが「記号」と「意味」のあいだのギャップに日常的に慣れすぎていることを改めて示している。
意図的に意味と記号がずらされているという点で、AI生成画像はAI自体が例えば「椅子」の図像を大量に学習し、その見た目の近似値を表現できるようになるのに対し、「椅子」が何なのかという意味においては、AIに椅子の意味の本質は捉えられない。だからこそ、図像は限りなくよく似ているのに何かがズレていて何だか不気味という図らずもシュルレアリスム的な、AI独特の質感が生まれているのだ。
ドイツの映画監督で批評家のヒト・シュタイエルは、AI生成されるイメージについて、より鋭くその本質を言語化している。
シュタイエルによれば、機械学習によって生成されたイメージは、実在する対象の画像ではなく、「統計的描写」であり、もはやそれらの画像は、事実性や真実を参照していないという。代わりにそれらが示すのは、「ありそうなこと」=確率だ。
AI生成の「描写」は、ネット上から大量に奪取された大衆的な画像データの平均化により作られたものであり、こうした画像は写真のような指標性(かつてそこにあった物や人の現実を写しているという因果関係があること)を必要とせず、センサーやフィルムに光子が当たったという物理的根拠も持たない。つまり平均値や中央値の「幻覚的な凡庸さ」を表している(もちろんプロンプトに拘ればそこから先鋭化した回答を生成できるわけだが、それは現時点では人間のテクニックの問題だ)。
シュタイエルは面白い例を示している。
著名人であるシュタイエルの画像がデータセットに含まれていることを確認した上で「hito steyerlの画像を生成して」とStable Diffusionに指示する。するとその結果はとても好意的とは言えない、本物の写真より卑しく醜悪に見える状態に生成されてくる。シュタイエルは生成画像が本質的にとても「意地悪」で「見下した」もの=「mean images」と感じたという。
生成された肖像は、「平均的なネットフィルター」を通して現実のノイズを排除し、代わりに「社会的シグナル」だけを抽出、”社会にどう見られているか”の近似値として現れる。シュタイエルの見立てでは、社会はやや意地悪な目線を持つということになる。
ネットに溢れるデータの総合意識は、情報源が消えてしまったあとも、スクリーンや網膜に焼き付いた残像のようなものであり、生成物の本質を捉えることは“疑似精神分析”を実行しているとシュタイエルは言う。
計量経済学に欠かせないベイズ推定では、データとこれまでの知識(prior)から確率を計算し、最もありそうな仮説を逆算する。こうして「ありそうな結果」が「正しい」と認識される。同じく生成AIにかかれば、ありそうで正しそうなデータはもはやグラフや図表として抽象化されず、ご覧のように対象そのものの形を取って画像に現れる。それらは即時性が高く確かであるように見えるが、偽りでもある。
ベイズ推定でも最も大切なのはデータセットのトリミングとされているが、AIの場合も、データセットからいかにエラー(企業が生成結果として望まないもの)を排除できるかが肝になる。そのエラーに当たる暴力的かつ過激なデータを目視で取り除いているのは、難民などで仕事を得ることが難しいマイクロワーカーたちである点も注目されるべき問題だと、シュタイエルは記している。
生成画像をこのように捉えなおすと、一筋縄ではいかない本質と、それを逆手に取り私たちはどのようにAIを創造的に活かせるか考え始めることができるだろう。
AIは何なのか哲学的に観察し探究する過程を経て、それはアートになり得るのかもしれない。
炎が迫るなかひとつだけ持ち出せるとしたら
『THE FUTURE WITHOUT YOU』の批評性の高さは、90年台のテクノロジーへの畏怖や、AIの驚異的成長に慄く現在の私たちを鋭く描写しながら、しかし写真自体にファウンドフォトかつストックフォトを選び、”写真は決して中立ではない”という点をはっきり認識した上でキュレーションしているという点だろう。
実際にピンカーズは、「現時点で私はAIを、アーティストとして自分たちが表現するために使える無限の技術発展のひとつのツールとしか捉えていません。私自身は、人間とテクノロジーの未来の関係については楽観的であり続けています。」と答えている。
先鋭化する資本主義と超合理主義とAIに対し、それでも私たちが生きる上で、こうして俯瞰して今を見つめる「芸術」という目があること、そうした非生産的かつ詩的で美しい行為が、人間が存在する意義そのものなのではないか。この写真集全体が裏打ちしている。
ピンカーズは、この世の中で私たちが芸術を続ける意義についてこう語る。
「人間の創造性は常にAIの出力よりも価値があると信じています。なぜなら、人間にはそれぞれ固有の視点があり、それが芸術を生み出すからです。AIには独自の視点はなく、既存のデータセットに基づき、与えられた目的に応じて出力を生成するに過ぎません。芸術を作ることには必ずしも目的は必要ないのです。
作家ジョアンナ・マチェイェフスカの言葉を借りれば、”私はAIに自分の芸術や執筆をやってほしいのではなく、洗濯や皿洗いをしてほしい。そうすれば私は芸術や執筆ができるのだから”」
カルフォルニアワイルドファイアのなか、アレコス・ファシアノスの絵画を抱えて逃げる人の報道をふと思い出す。家に火が回り決死の覚悟で逃げようとした時に、様々なものを見捨てなければならない中、ファシアノスの美しい絵を壁から外し抱えて逃げるという究極の選択をしたその人に、私たちは芸術や美を選びとり生きるという人間の本質を見たように思う。
人間がそうした衝動に突き動かされるならば、どんなにテクノロジーが進化しようと、芸術はこれからも私たちの根幹であり続けるだろう。
All Images
2025 © Max Pinckers & Thomas Sauvin
参考文献
THE FUTURE WITHOUT YOU
・Max Pinckers & Thomas Sauvin
・Published by Beijing Silvermine & Lyre Press, 2023
・山中散生「シュルレアリスム 資料と回想」株式会社美術出版社、1971年
・高階秀爾「カラー版 近代絵画史(下)」中央公論新社、1975年
・Surrealism in the Age of AI
TAYLOR DAFOE
ARTnews
https://www.artnews.com/list/art-news/artists/surrealism-and-artificial-intelligence-art-1234704046/this-is-not-a-pipe-why-do-ai-images-look-surreal/
・MEAN IMAGES
HITO STEYERL
NEW LEFT REVIEW
https://newleftreview.org/issues/ii140/articles/hito-steyerl-mean-images

伊藤 甘露
ライター
人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者