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BUSINESS

増加するアメリカの医療保険詐欺。AIは救世主になれるのか?

vital sign monitor in tablet PC, medical technology concept

アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health)の推定によると、アメリカでは医療費の架空請求などの医療保険詐欺が横行し、年間1000億ドル(約14兆5000億ドル)から1700億ドル(約24兆6500億円)もの被害が生じているという。

膨張を続けるアメリカの医療コスト全体にさらに追い打ちをかける医療保険詐欺の横行は、アメリカの医療における深刻な構造問題になっている。そうした中、AIを活用して医療保険詐欺を検知し、防止につなげようとする動きが広まっている。AIによるアメリカの医療保険詐欺防止の現状と今後についてお伝えする。

アメリカでは年間400人以上が医療保険詐欺で逮捕

Medical concept image

アメリカ刑量委員会(US Sentencing Commission)がまとめた報告書によると、2023年会計年度に報告されたアメリカの医療保険詐欺(Medical fraudまたはHealthcare fraud)による逮捕者数は447人で、2022年会計年度の431人から二年連続で400人を超えた。

被害額の平均は141万6231ドル(約2億535万円)で、全体の35.1%が被害額100万ドル(約1億4500万円)以上の大型事件となっている。被害額950万ドル(約13億7750万円)以上の超大型事件も全体の4.7%を占めた。逮捕された447人のうち、73.6%に懲役刑が科せられ、平均で27ヶ月間刑務所に収監された。

日本でも病院やクリニックによる診療報酬の不正請求事件がコンスタントに発生しているが、逮捕者を出すケースは異例だ。日本でも、悪質と認められる場合は保険医療機関の指定が取り消されるなどのペナルティを受けるが、2年以上の懲役刑を科せられることはまず無いと言っていい。アメリカにおける医療保険詐欺が広範囲にかつ恒常的に行われていて、いかに悪質であるかがご理解いただけるだろう。

12億ドルの医療保険詐欺で病院経営者逮捕も

医療保険詐欺が横行するアメリカで、ことさらに大きく報道されたのが昨年摘発された医療機関経営者夫婦による総額12億ドルもの巨額詐欺事件だ。

メディアの報道によると、アレキサンドラ・ジェルクと夫のジェフリー・キング両容疑者は、自身が経営するホスピスの入院患者の褥瘡治療に用いるとして人工皮膚を大量に購入し、人工皮膚のメーカーから2億7900万ドル(約404億455万円)もの巨額のキックバックを受け取っていたほか、元来治療を必要としていない入院患者にも「治療」を行い、公的医療保険メディケアなどから診療報酬を不正に受け取った容疑がかけられている。

2022年11月から2024年3月までの期間に両者が不正請求した診療報酬の総額は12億1220万ドル(約1757億6900万円)で、うちメディケアやメディケイドなどの公的医療保険に対する不正請求額が9億6000万ドル(約1392億円)だったという。ただでさえ運営する人手が足りないとされるアメリカの公的医療保険がダイレクトに狙い撃ちにされたこの事件は、医療関係者のみならず、普通に暮らすアメリカ市民にとっても大きなニュースとなった。

ところで、アメリカの医療保険請求の現場でなぜこれほどまでに詐欺が横行しているのだろうか。多くの識者が指摘するのが医療機関経営にかかるコストの大きさと、それに対する公的医療保険および民間医療保険が支払う診療報酬の安さだ。アメリカの多くの医療機関は、医療従事者に対する人件費、薬剤や医療機器などのコスト、施設の建設・維持コストなどの各種のコストに圧迫され、難しい経営を余儀なくされている。実際にかかる医療コストに見合わない診療報酬の水準が、医療機関の経営者に不正を働かせるドライバーとなっている可能性が高い。

また、医療機関の中には所得が低い患者の自己負担を軽減するために、診療報酬を水増しして請求し、軽減分をカバーするところもあるという。さらに、診療報酬支払サイドのスタッフ不足や診療報酬請求システムの煩雑さなども遠因となっている。詐欺が横行する環境は、複数の原因が絡み合って構成されているというのが実態であろう。

AIによる医療保険詐欺検出の方法

Light beam is shining through retina and lens on eyesight exam

一部が無法地帯と化した感があるアメリカの医療保険請求の現場だが、台頭するAIテクノロジーを詐欺検出に活用しようと言う機運が高まっている。ところで、AIはどのようにして医療保険詐欺を検出するのだろうか。

一般的には、以下のスキームで行われる。

パターン認識による異常検知(Pattern recognition)

まずはパターン認識による異常検知だ。日本では、各種の病気や怪我に対する一般的な「標準治療」が定められ、各医療機関は「標準治療」に則った治療サービスを提供することが求められている。病気の種類によって検査から投与する薬剤、手術の術式、術後ケアの方法などが細かく定められている。アメリカの民間医療保険や公的医療保険も、当然ながらそれと同様の「標準治療」(Standard treatment)を定めている。

AIによるパターン認識は、病気や怪我ごとの「標準治療」のビッグデータをパターン化し、パターンから逸脱するケースを認識してアウトプットする一連の技術だ。膨大なデータの中から「不必要な検査」「必要以上の薬剤投与」「通常ではありえない手術」といった各種の不正を見つけ出す、シンプルだが人間がやると気が遠くなるような作業だ。この種の作業はAIが得意とするもので、実際にAIは人間以上のパフォーマンスを見せ始めている。

リアルタイムモニタリング(Realtime-monitoring)

リアルタイムモニタリングもAIならではのスキームだ。リアルタイムモニタリングとは、メディケアやメディケイドなどの公的医療保険の診療報酬請求で使われている、オンライン請求システムをリアルタイムで監視し、不正を見抜く仕組みだ。パターン認識は、すでに請求行為が終わったデータを対象としているが、リアルタイムモニタリングは、これから請求しようとするデータを対象にしており、また不正行為のパターン情報なども常に最新にアップデートされており、迅速で正確な不正検知が可能だ。また、患者ごとの治療履歴なども参照し、それぞれの患者にとっての「不必要な治療」「過剰な検査」などの不正をリアルタイムで検出する。

予測分析(Predictive analytics)

予測分析もAIが強みを発揮できるスキームだ。予測分析とは、ビッグデータなどを参照して医療機関や患者の「未来」を予測するテクノロジーだ。例えば、アメリカのある医療保険会社では、過去に不正事件を起こした医療機関に関するデータを分析し、不正請求の対象となった患者の病歴やデモグラフィックデータなどと併せて分析して「事件発生リスク」を予測し、不正請求の事前防止に役立てている。

上記以外にも自然言語処理(Natural Language Processing)や、リンク分析(Link analysis)などのスキームも活用され、不正検知を行っている。医療保険請求の現場におけるAIの台頭は著しく、今後も進化を続けながら相応のプレゼンスを獲得してゆくことだろう。

日本の医療保険の現場でもAIが台頭するか?

Close up of Intravenous drip bag with chemotherapy drug hanging in hospital treatment room.

ところで、日本の医療保険の現場でもアメリカのようにAIが台頭してくるのだろうか。筆者は、日本においてもAIの台頭はすでに始まっており、問題はその範囲とスピードであると考えている。

例えば、社会保険診療報酬支払基金では、2021年に審査支払新システムにAIを導入し、二種類のAIを活用したレセプトの振分け作業などで活用し始めている。AI導入の理由について同基金は、「AIを活用したチェックを行うことにより、目視による判断を要するものを分類し、職員や審査委員による目視に委ねる部分を極力少なくする」としており、人間のスタッフからAIへのシフトを進めると明言している。

筆者は以前に、大企業の従業員などが加入する企業健康保険組合からの依頼で、組合に寄せられる大量のレセプト(診療報酬請求書)に不正がないかチェックする会社の作業現場に立ち会う機会を得たことがある。15-6年ほど前の現場では、依然として紙のレセプトが山と積まれ、人間のチェック担当者がレセプト一枚一枚を素早くチェックし、過剰請求などがないか確認する作業に追われていた。レセプトが原則電子化された今では状況は相当改善したと思われるが、それでも電子レセプトの人間の目視によるチェックは今でも行われているだろう。

マイナンバーカードを使った受診システム導入を固辞する診療所などが多く存在する現状を見るに、日本の医療費請求システムには未だに原始的な部分が少なからず残されていると感じる。そうした状況においては、進化を続けるAIが導入され、水を得た魚のように活躍する可能性が極めて高い。アメリカと同様に、日本でもAIが医療保険請求の現場で主たるプレーヤーとして当たり前に仕事をする日常がやってくることは確実だろう。

参考文献

https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11831774/
https://www.ussc.gov/research/quick-facts/health-care-fraud
https://www.justice.gov/opa/pr/arizona-couple-pleads-guilty-12b-health-care-fraud
https://www.levine-levine.com/blog/2021/december/why-do-doctors-commit-healthcare-fraud-/
https:// www.planetcompliance.com/hipaa-compliance/healthcare-fraud-detection-ai/
https://blogs.oracle.com/cloud-infrastructure/post/leveraging-ai-help-detect-fraud-in-medical-claims
https://www.ssk.or.jp/aboutkikin/kohoshi/gekkankikin/r03/r03_09.files/r03_09.pdf

WRITING BY

前田 健二

経営コンサルタント・ライター

事業再生・アメリカ市場進出のコンサルティングを提供する一方、経済・ビジネス関連のライターとして活動している。特にアメリカのビジネス事情に詳しい。

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