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SCIENCE

人が築いた「将棋AI」という知性に導かれ、我々はさらに先へ向かう

 

今年も熱闘が繰り広げられた「第34回世界コンピュータ将棋選手権」

優勝チームを代表して、ザイオソフトコンピュータ将棋サークル野田久順氏

2024年5月5日、3日間にも及ぶ白熱したコンピュータ将棋の戦いについに決着がついた。

全国から幾多の将棋AI開発者が集う第34回世界コンピュータ将棋選手権優勝プログラムは、ザイオソフトコンピュータ将棋サークルによる「お前、CSA会員にならねーか?」となった。

直前までどうなるか誰も読めない二転三転の決勝では、多くのブースに開発者や棋士が集まり、モニターを見ながら意見を交わし、皆を称えながら激しい戦いを見守った。優勝が確定した瞬間、会場にはあたたかい拍手と、ザイオソフト野田氏の喜びの声が響いた。

筆者は選手権に一次予選から決戦まで帯同し、将棋AI黎明期からの伝説的研究者たち、個性溢れる大会参加者たちから、将棋AIのこれから、人間とAIの共栄など様々な話を聞くことができた(詳細な第34回世界コンピュータ将棋選手権のルポはまた後日掲載予定である)。

今回はその前編として、選手権を主催し、日本の将棋AIの発展に尽力してきたコンピュータ将棋協会の歴史と、アラン・チューリングが見据えた未来について考えてみたい。

将棋AIたちの天下一武道会

棋士の勝又清和七段を交えて最終決戦を見守る

コンピュータ将棋協会監修『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方ーあから2010を生み出したアイデアと工夫の軌跡』には、コンピュータ将棋の始まりからその変遷が詳細に記されている。

1974年に、当時大学院生だった瀧澤武信氏(早稲田大学名誉教授)を含む早稲田大学のグループによって、初のコンピュータ将棋開発が始まった。しかし、歴史上の棋士と現代の棋士との対局シミュレーションを行う目的で作られたが、その実力は全くの初心者レベルだった。

松原仁氏(東京大学名誉教授、京都橘大学教授)の記述によれば、既に西欧で先行していたチェス研究とは反対に、当初日本では将棋は遊びとみなされ、コンピュータ将棋の研究をしたいと言ったら教授に罵倒されたこともあったという。

チェスは研究の歴史が遥か古いこともあり、1497年に世界最古のチェス書籍が出版されたのを皮切りに、ヨーロッパでは当初から人工知能の研究テーマとしてチェスが重要視されてきた。1997年、IBMによる「Deep Blue」がチェスの絶対的世界王者であったガルリ・カスパロフを破ったころ、日本のコンピュータ将棋はようやくアマ2段に到達したばかりで、開発者たちに衝撃を与えた。

瀧澤教授はその後も将棋プログラムの開発を続け、1986年には小谷善行氏(東京農工大学名誉教授)と共に現在のコンピュータ将棋協会の前身である「将棋プログラムの会」を立ち上げ、1990年に「第一回コンピュータ将棋選手権」(第11回に「世界コンピュータ将棋選手権」へ改称している)を開催し、将棋AI開発者たちの活発な交流と議論の場、激しい戦いの花舞台を創り上げた。選手権によって優勝プログラムは注目を集めるようになり、開発者たちに影響を与えるようになった。

2003年にはプログラムの強さがアマ5段ほどと認められるようになり、第18回アマチュア竜王戦に招待され、その年の選手権優勝プログラム「激指」が参加。ベスト16に入るという快挙を成し遂げた。

この頃「Bonanza」のソースコードがインターネット上に公開されたことで大きな衝撃を与え、選手権でもそのBonanzaが初出場で初優勝を果たし、一大旋風を巻き起こした。TACOSが橋本崇載五段(当時)、そしてBonanzaが渡辺明竜王(当時)と対局し敗れたものの、善戦して世の中から注目を集めたのもこの頃である。

紙の上のアルゴリズムから


 
将棋AIの始祖とも言えるゲームプログラムのひとつは、天才科学者で情報理論の父の1人であるアラン・チューリングによって作られた。チェスプログラム“Turochamp”である。

チューリングは1941年頃からインテリジェントタスクを行わせることができる機械について思索し始め、1948年に経済統計学者で同僚だったデイビッド・シャンパーノウンと共にチェスの次の一手を決定するルールに基づくアルゴリズムを開発した。

当時はまだこのプログラムを実行できるコンピュータは存在しておらず、1954年にアルゴリズムに沿って紙に書かれた手順書に基づき、手動で駒を動かしチェスの対局を行っている。チューリングが死去するまで実行できる性能のハードウェアが開発できなかったことからも、このアイディアの先進性が浮き彫りになる。

1950年に発表された論文『COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE
』で、チューリングはAIの未来について、驚くべき千里眼をもってこう述べている。

I believe that in about fifty years time it will be possible to programme computers with a storage capacity of about 109 to make them play the imitation game so … The original question, ‘Can machines think?’ I believe to be too meaningless to deserve discussion. Nevertheless I believe that at the end of the century the use of words and general educated opinion will have altered so much that one will be able to speak of machines thinking without expecting to be contradicted.

およそ50年後には、約109の記憶容量を持つコンピューターをプログラムして、イミテーション ゲームを上手にプレイさせることが可能になり、 (略) 元々の問いである「機械は考えることができるか?」は、いずれあまりにも無意味すぎて議論に値しなくなるだろう。どちらにせよ、今世紀末には、言葉の使い方や教養のある人々の一般的な意見が大きく変わり、反論なく機械の思考について語ることができるようになるだろうと私は信じている(筆者訳)

チューリングが見据えていた未来について考える時、ジョン・サールの「強いAI」という定義が思い起こされる。サールはこれを“精神が宿る”もの、AIが人間と見分けがつかない自我を持った状態であることとし、強いAI が実現するためには実際の心が必要であると主張している。島海不二夫著『強いAI・弱いAI』の松原仁教授との対談では、ゲームAIも“強いAI”のような存在であることを否定できないとしている。

竹部さゆり女流四段は「将棋AIには棋風があるんです」と話す。

竹部氏はコンピュータ将棋協会の理事も勤めており、将棋AIに日頃から向き合っている女流棋士であるが、それぞれのプログラムを“〇〇ちゃん”と愛称で呼び親しみ、「“水匠”は攻めが強め」と自然に表現し人格があるように扱っている。

棋風や人格は、対峙する人間自身が感じる主観的なものではあるが、人工知能の自我を僅かでも感じさせるという現象は大変興味深い。こうした感覚は、時にシンギュラリティへの恐怖心をもたらしかねないが、将棋界ではそれが自然に受け入れられているということは特筆すべき点である。

そもそも日本は絶えず自然災害に苛まれてきた地形から、襲いくる自然を畏怖崇敬するアミニズムの土壌が、無常観と共に八百万の神を受け入れる姿勢を生み出し、“モノに魂が宿る”ロボットキャラクターなどへの親しみをもたらしている。AIに対する姿勢も、そういった素地から共存共栄という意思が生まれやすいのかもしれない。

和辻哲郎の「風土」で牧場と表されたヨーロッパは”飼い慣らせる”土地と気候であり、人間の支配的万能感が高まる。その代表例が自然を完全に人間の手で整地するゴルフ文化であり、一つの神が支配し人間に種としての優位性を約束する一神教になる。AIが人間より高い知性を持つことへの根強い恐怖感も、こうした風土のもたらすものであると考えられる。

「10の224乗」の異名を持つAI

選手権参加者「Novice」チームのそばに置かれた盤駒

「あから2010」は当時の研究者たちが総力をあげて作り上げ、2010年10月11日に当時の女流トッププロ棋士である清水市代女流王将と対局しついに勝利した、歴史的AIである。
大乗仏教の仏典『華厳経』に登場する阿伽羅(あから)は、自然数の数詞の一つで「10の224乗」に当たる。将棋の全ての局面からの手の総数がそれに近く、その数詞にちなんで名づけられた。

その当時研究者たちが最も避けたかったシナリオは、オセロAIと人間との公式対決が遅すぎたことで人間が大敗し、結果AIが人間をいじめているような図式になってしまった「オセロの悲劇」であった。将棋で同じ悲劇を繰り返さないためには、2010年というのは、プロとAIが対局する上で適切な最後のタイミングであったと感じる(数年早ければ、結果が拮抗してより良かったという意見もある)。

2010年4月にアカデミックガウンを羽織った情報処理学会白鳥則郎会長(当時)と、羽織袴姿の将棋連盟の米長邦雄会長(当時)が、まるで格闘技漫画の一コマのような挑戦状受理を行い、あからVS清水市代女流王将対決を大いに盛り上げた。対決はセンセーショナルに報道され、会場の東京大学には無数の観戦希望者が列を成した。公の場でプロ棋士が負ける可能性がある中、米長会長が棋士の勝利を信じながらこの事態を面白がったことが、結果としてAIをエンターテイメントとして上手く吸収できたきっかけになったと思われる。

その後のプロ棋士とAIの対決の歴史、AIとの共栄の過程は知られている通りである。

AIは人間のために私たちを超えて行く

ユヴァル・ハラリ『サピエンス全史』では、250万年前の原生人類の脳は600平方メートルを超えていた、と記されている。

脳の重さを抱え、エネルギー供給を筋力より優先し、幾多の犠牲を払って高い思考力を獲得してきた我々人類。

なぜ研究者たちは、その認知力と自意識をAIが獲得してゆくことを目指すのか。それは人間自身のために他ならない。

いまや人類を超えた強さを備えた将棋AIは、時に“神”と呼称されることもある。人間に勝つという目標を遥か超えた今も続けられている選手権と、AIどうしの無限の対局は、AIがどれほど真理に辿り着けるのかという純粋な人間の知的探究心によって支えられているのかもしれない。

そしてAIとの正しい付き合い方を模索することで、我々人類の知性を未だかつて無いほどに拡張してゆく可能性を秘めている。

将棋電王戦FINALで紹介されたカスパロフの言葉で、この記事を締め括ろう。

文明は発達が止まる事はない。コンピュータが人間を超える事は必然なんだ。そしてそれさえも人間の知性の勝利と言える。(略)チェスも将棋もその真理はひとつ。2つの知性の闘いだという事だ。コンピュータに敗れようとも、人間に知性がある限りチェスも将棋も続いていく。知性の闘いは揺るがない

※本記事は、コンピュータ将棋協会副会長・早稲田大学名誉教授・瀧澤武信様、女流棋士・竹部さゆり様にご監修いただきました。ありがとうございました。

参考文献

コンピュータ将棋協会監修「人間に勝つコンピュータ将棋の作り方ーあから2010を生み出したアイデアと工夫の軌跡ー」株式会社技術評論社、2012年
松原仁著「AIに心は宿るのか」株式会社集英社、2018年
島海不二夫著「強いAI・弱いAIー研究者に聞く人工知能の実像ー」丸善出版株式会社、2016年
ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史(上)」株式会社河出書房新社、2016年
和辻哲郎「風土」岩波文庫、1979年

WRITING BY

伊藤 甘露

ライター

人間、哲学、宗教、文化人類学、芸術、自然科学を探索する者